46


「よ」
「…よぉ」

一護が待っているから急ぐぞと言っているのにも関わらず、夜遊びには必須だと、(半ば無理やりに)恋次と寄った(が寄らせた)コンビニで。仕入れた菓子類やら飲み物を、どちらが持つかということで言い争った結果、二人で片方ずつ取っ手を持つことで収まった、やたらと嵩の大きいビニールを引っ提げて、何故か殊更ゆっくりと歩こうとする恋次を引っ張る気持でマンションへと帰り着いてみれば。そこには、予想通りと言うか、案の定と言うか、やっぱりと言うか、不機嫌そうな顔をした一護がいた。

片手を上げた恋次に、街灯の下に立つ一護が声だけで応じる。

「人を呼び出しといて、随分ゆっくりとしたご帰宅だな?」
「必要だろ?夜食。見たとこ無事みてぇだし、カリカリすんなよ」
「待たせて悪かったな、一護。えぇと、今更なのだが大丈夫なのか?」
「大丈夫…って、何が?」
「時間とか、親父殿のことだとかだが?恋次から聞いておるか?今から、うちで遊ぶらしいぞ」
「本当に今更だぞ、それ。親父には言ってきたし、大丈夫じゃなかったら、そもそも来てねぇよ」

そうか。と、答える間もなく、恋次と持っていたビニールを取り上げられ、さっさと行こうと背を押される。

「二人で持ってるからどんなに重いかと思ったら…。んなに重くねェじゃねぇか、これ」
「私一人でも持てると言うのに、恋次が譲らなかった結果だ」
「あ、そー」
「落とすなよ、一護。新発売のチョコもいくつか買ってきたのだ。どれが美味いか食べ比べがしたい」
「あれ、新発売とかに弱かったっけ、お前」
「てか、ルキア。部屋は大丈夫なのかよ?」
「ん、どういう意味だ?」
「人を上げられる程、片付いてんのか?今から大掃除すんのは遠慮したい」
「馬鹿を言うな。急な来客に困らない程度の掃除はいつもしてある」

わいわいと、だけど、夜なのでひっそりと。声のトーンを落として部屋へと向かう。こんなにも部屋に帰るのが楽しみだったことがあっただろうか。寂しくないことがあっただろうか。

新発売のお菓子の食べ比べは、教室の女子達がやっているのを見て、密かにやってみたかったことだ。部屋に帰るときに、一人でないことはずっと憧れていたことだ。夜に友人を部屋に入れたと家の者に知られたら、いい顔はされないだろうなと少し考えたが、近頃は、定期的に入れる連絡さえ怠らなければ、目付役の喜助さえ部屋に来ない。ばれることはない。

「じゃあ、ルキア。鍵かせ、鍵」
「?何故だ」
「俺が開けてやるから」
「何か、よからぬことをたくらんでいるのか?」
「ただの親切心だろうが、疑うな。貸せよ。…と、で?一番奥の部屋でいいのか?」
「ああ」

今日の恋次は、いつにも増して思い付きで行動するな、と思いながらも流される。一日、流されてきて楽しい気分だし、どうせだから最後まで奴のペースでも悪くない。

エレベータから部屋までの細く、そしてさほど長くない通路を、わざわざ私を追い越して恋次が足早に進んでいく。そして、断りもなく鍵を回し、部屋を開けると、さっさと中へ入った。もしかしたら、鍵をかけて閉めだす悪戯かとも思ったが、手をかけたドアノブはすんなりと下がる。僅かに空いたドアから漏れた光に、自分が入る前から、部屋の明かりが付いているなんて初めての事だなと、考えた。














47


「おかえり」

ルキアを固まらせたのは、そんな短い言葉だった。初めて聞く言葉ではないだろう。あの馬鹿がつく程、でかい屋敷で、使用人とかいう人達に「おかえりなさいませ」とご丁寧に言われているのを見たことがあるし。俺ん家に来るたびに、遊子が言い続けている言葉でもある。

だけど、その度に、ルキアは「ああ」だとか、「お邪魔します」だとか言って、誰もが言うであろう言葉は絶対に言わない。それを聞く度に、言ってしまえばいいのにと、言ってくれと、思っていたけれど、この場に立って初めて気づく。ルキアにとって、この場以外だけが、「ただいま」しか言えない場所なのだと。

「おい、どうしたんだよ?」

玄関に立ちつくして、言葉を発しようともせず、進もうともしない小さな頭に手を置く。撫でる、というよりか、揺らすに近い力の入れ方で、様子を窺うと、無表情な顔がこちらを見上げてきた。予想よりも遥かに重度のようだ。

「…もう痴呆か?」
「なん、だと?」
「ここはてめぇの部屋で、迎えてくれる人がいるんだろ?例え押しかけ野郎だとしても」
「………まぁ」
「だったら、言うことは一つだろ。ほら」
「た、ただいま」

背を押してやって、ようやく呟いた一言。なんて、自信の無い挨拶なのだろう。どんな恥ずかしがりやな小学一年生だって、もっと大きな声で言える。苦笑にも近い、笑みを浮かべて前を向くと、似たような表情で恋次が笑っていた。ただし、こいつのほうはもっと保護者のような面。

「…狙ってたのか?」
「いや、思い付き。俺んとこも、まぁ、訳ありなんだよ」

だから、ルキアの気持ちが分かるとでも言いたいのか。全部先を越されたのが癪で、部屋の電気を点けに奥の部屋へ消えた恋次を見送る。少しないくらいの挙動不審さで、ルキアが玄関へ上がるのを待って、今度はちゃんと優しく頭を撫でながら言ってみた。

「おかえり」
「ただいま、一護」

照れながらも、嬉しそうな表情は、俺に脱ぎやすいスニーカーを「紐が面倒な奴を履いてきた」と適当な嘘をつかせる位には、可愛かった。














48


「夜遊びっつーか、夜更かしって言うんじゃないのか、これ?」
「んな細かい言葉の差異を気にすんじゃねーよ、今更」

カーテンからすでに太陽の光が差し込むころ、ソファの端と端にぐったりと座り込み、黒崎が先ほどからどうでもいいことを延々と話しかけてくるので、それに延々と答える。不毛だ、どうせだから寝たいと考えるが、俺が先に寝ても大丈夫なのかと妙な義務感を抱いてしまったため、思うようにいかない。

ちなみに、ルキアは1時間程前におちた。深夜のつまらない番組に耳を傾けながら、妙な議題について(確か兎の可愛らしさはどこが一番重要か云々)熱く語っていたが、ふと気が付けば、プツンと糸が切れたように熟睡していた。一時、ベッドに運ぼうかとも考えたが、さすがに寝室にまで入るのは躊躇われたので、仕方なく、ソファに置いてあったクッションを総動員し、俺や黒崎の上着を重ねて、即席の寝床を用意したのだが、見た目の割には快適な様子で目を覚ます様子は一向に見れない。

「今、何時だっけ?」
「5時32分」
「あーもう、始発動いてんな」

帰れる。だが、帰れない。

黒崎一人を置いて、俺が帰るわけにもいかないし。黒崎を追い出して、俺一人が残るわけにもいかないだろう。かといって、二人揃って寝たままのルキアを置いてでるわけにもいかない。そもそも、この状況は、ルキアを一人に出来ないけれど、一人暮らしの女子高生の部屋に、男が一人で上がりこむのはどうなんだと考えた結果なのだから。いや、一人でなくても男ばっかりというのもマズイかと思ったのだが、夜分にクラスメイトの女子を呼び出すわけにもいかないし、かと言って押しかけるわけにもいかないし、と色々考えた苦肉の策なので勘弁してほしい。

とりあえず、一番、無難な案としては、ルキアを起こして、二人揃って出ていくだろうが、すやすやと気持ち良さそうに眠る姿を見せられてはそれも躊躇われる。そして、冒頭に戻るというわけなのだが…。

「なぁ」
「んー?」
「ルキアの小学生の頃ってさ、どんな感じだったんだ?」

パチリ、と眠気が消えたのを感じる。少し、意外な質問にソファに沈めていた体を起こすと、座りなおしてこちらを見る黒崎がいた。確かに、気になっているだろうし、いつかは聞いてくるだろうとは思っていたけれど、まさか寝ているとはいえ、ルキアがいるところで聞かれるとは思っていなかった。そして、若干、質問の形式も違う。

「そうだなぁ。うし、コーヒーでも飲むか?」
「………いらねー」
「いいから、飲めよ。ルキアが起きるくらいまでは喋るかもしんねぇし」

まさか十代のうちに、思い出話を語ることになるとは思わなかった。背を一つ伸ばし、キッチンに立ちながら記憶をたどり始める。さて、どこから話した方がいいのか、どこが不必要か。きっと、黒崎が聞きたい部分は不必要なところなんだろうなぁと思いながら、インスタントながらも良い香りを楽しんでみた。














49


小学校から1年生から3年生までのルキアの印象は、気が付いたら目に入る奴だった。小さなころから、そのお人形のような整った容姿は健在だったし、クラスでもリーダー格のような存在を担っていたから、学年的にも学校的も、知名度が高い生徒だったように思う。

「ほら、見て。あれが朽木さんだよ、綺麗だね」

という友達の感想が、

「ほら、見て。あれが朽木財閥のお嬢様だよ」

という若干のやっかみが入るようになっても、3年生までの俺にとっては、ふぅんそうか、からさほど変化はなかった。珍しい色のでかい瞳、やけに白い肌、朽木ルキア。この3つの単語だけが、俺の中のルキアだった。多分、あの出来事さえ起こらなければ、同じクラスになった4年生の時でも、ふぅんそうか、と思い続けただろう。

「おはよう、阿散井くん」

そう教室で言われ続けていることに気が付いたのは、始業式から果たして何日目のことだったのか。4年生になるまで、俺よりも先に登校してきている奴を見たことがなかったので、初日は少しだけ驚いた。だがすぐにこういうこともあるかもしれないと、流した。続けば、こういう奴もいるのかと考えた。朝は機嫌が悪かったので、無視もしたし、嫌味も言っていた。だけど、ルキアは「おはよう」と言い続けた。

「なんで朽木はこんなに早く学校に来てるんだ?」
「学校が好きなのだ」
「変な奴だな、てめぇは。学校が好きなのも、喋り方も」
「そういうお前だって、来るのが早いではないか」
「俺はサッカーの練習にきてるんだよ」
「そうか」

そんな短い会話を交わした日だった。俺は、ルキアの言葉を信じて、嫌な奴だと思ったのだ。学校が好きだから来ているというのを額面通りに受け取って、金持ちのお嬢様はいいよな、と友達が言っていた言葉を本人の前で口にした。ルキアは何も言わず、静かに本を読んでいた。














50


夕方、もう帰らないと怒られるとしぶる友達を可能な限り引き止め、グランドを駆け回った。引き留める度に、俺は遅くなっても親に怒られないのか、と友達に問われ、それに笑って俺ん家は寛大なんだと言えば、いいなぁと羨ましがられた記憶がある。その度に、遅くなったら心配され、咎められることをどれだけ妬んだかも、覚えている。

親が俺に対して関心を持ってないのを悟ったのはいつだったろうか。いてもいなくても、どちらでもいいと思われているのだと、正しく理解したのは幾つの時だったろう。物心がついてから、そう長い期間ではなかった筈だ。親に対して愛を期待していたのは。

親からの愛を諦めるのと同時に、俺は子供でいる時間を失い、孤独と真正面から向き合うことになった。幸いなことに、一通りのことは人並み以上に出来る器用さを持ち合わせていたため、最大限に利用して、注目を集める術を覚えた。積極的に他人に関わり、発言し、笑い、遊び、群れ、孤独から逃れようとしていた。学校は、俺にとって孤独から逃れるための避難場所。

そして、そんな人間は俺だけだと更に孤独へ追いやる場所でもあった。友達が皆帰り、グランドから見える民家に明かりが付き始め、そこにテレビで見るような一家団欒の光景があるのだろうかと夢想する。俺を拒んでも、待ってもいない、ドア開ける覚悟を決めるまで、学校の周りをぐるぐると歩いて時間を潰す、退屈で詰まらない日課。その日も、あと一周したら帰ろうと思っていた矢先に、その姿を見つけた。

「朽木?」
「?ああ、何だ。阿散井か。今、帰りなのか?」

女のくせに、黒のランドセル。白のシャツに深い紫色のスカート、図書館の本を入れる用だと言っていた白いトートバック。その日の朝、見たままの格好でルキアが一人、歩いていた。

「サッカーしてたんだよ」
「ほぉ、随分と好きなんだな、サッカーが。朝も練習しておるのに、夕方もとは」
「男子は皆そんなもんだろ」
「そうか?お前は特別、がつく気がするが。さっきグランドの前を通ったが、誰もいなかったぞ。一番、最後まで練習しておったのだろう?朝も一番ではないか」
「てめぇのが早いじゃねぇか。てか、忘れもんでも取りに戻ってきたのか?随分と帰りが遅いな。お嬢様が遅くまで外歩いてたら、怒られんじゃねーの」
「遅い?ああ、そういえばそうかもしれぬな。私はいつも、もう少し遅い時間まで図書館にいるから、そんな気がしなかったが…。今日は図書館の先生が早めに帰らなくてはならないそうで、閉館が早まったのだ」

おかげでいつもより一冊、読み切れなかった本を借りてしまって鞄が重いと、ルキアが笑う。俺は、それを信じられない思いで見ていた。だって、その笑い方は、寂しさをひた隠しにする笑い方は、俺が誰よりも知っていたから。















[22.11.27]