26



(…まさか)

一瞬そう思ったが、そんな筈がないと頭を振って現実を考えなおす。さっき見たことは何かの間違いだ幻だといい聞かせて再び目を開ける。沈黙。もう一度、同じことを繰り返してはみたが、導き出された結論は現実が残酷であるということだった。

「うそ〜」
「え、こいつ誰?」
「つか、何て読むんだ?」
「ほら、9月に転向してきた…」

ひそひそひそひそひそひそひそ。
出来るだけ人のいない時間を狙って見にきたのだが、感じていた時間の流れよりもかなり長く私はその場に留まり続けていたらしい。数人の生徒が掲示板を見上げ、それを見ている私の方を見て、好き勝手なことを喋り出す。
そのような普段ならば、気にもとめない他人の会話が大人げないと分かっていても癇に障り、睨みつけてやろうかと思うが、それこそ大人げない行為であると思い留まって、抱えていた教科書に力を込めることでその衝動をやり過ごした。心の中で、アイスキャンディー・ぺんぎん・北極・白くま・スノウマン・スケート・かまくらと、冷たいものを連想し、頭に上った熱を冷ましていく。

(よし、だいぶ落ち着いてきたぞ)

何もテストは一回のことではないし、少なくともこの学校では首席をずっとキープするのは難しいと分かっていた。今回は努力が足りなかっただけなのだから、また次を頑張ればいいと結論を出し、早くこの場を去ろうと思う。思考は冷静になっていても、何かの拍子で感情が瓦解しそうな気がした。これからの高校生活を平穏に過ごすために、今の自分のイメージを貫きとおしたい。人の注目を集めている場で、自分よりもでかい男に嫌味を言う姿を晒すなんてあってはならない。
決意を固め掲示板に背を向け一歩踏み出す。

「よ。ルキア」

今、一番聞きたくない声が、頭をくしゃりと撫でた。




"よりにもよって"















27



廊下の壁に体重を預けて、目の前を流れていく同級生たちを見ながら、短い会話をつなげてゆく。それはいつものことであるけれど、ずっと同じクラスだった中学の時と比べると随分と機会の減ったことだった。見下ろした先で揺れる、見慣れたルキアの黒髪が何故か面映ゆい。

「落ち込んでるのか?」
「落ち込んでなどおらぬ」
「首席をとれなかったくらいで」
「だから、落ち込んでおらぬと言っているだろう!」
「中学の時だって、ずっと首席とってたわけでもねーだろ?てか、とるほうが珍しかったくらいだったじゃねぇか。高校に入ってから何でそんなに頑張りだしたんだよ?」
「…目標の、ためだ」
「それに首席が必要なのか?」
「……邪魔にはならん」

そう言ってプイと横を向いてしまったルキアの表情はとても幼く、久しぶりにこんな顔を見たと思う。まるで避難所のように、休み時間になる度にバツの悪そうな顔でうちのクラスの入り口に顔を見せる。

「4時間目が終ったら、昼休みだぜ?」
「そうだな」
「屋上くるか?啓吾とか、水色も一緒だけど」
「いいのか?」
「構わねぇよ」

まるでほっとしたような笑顔が不思議だった。俺が知っている限り、ルキアは負けず嫌いではあったが拘りすぎるようなことはない。こんな風に落ち込んでみたり、まるで人を避けるように逃げ回る理由が分からなかった。「あとでな」とチャイムと一緒に去っていく後ろ姿を見送りながら思う。逃げ回る理由は分からない。分からない…けれど、でも、今回の首席が恋次だったからだろうと何となく思った。




"気にならない?気になる"















28



人気のない階段を上りきり、鉄の扉のノブを捻る。簡単に回ったそれを捻った状態のままにして押すと予想以上の重さが感じられた。片手だけではどうやら開かなそうだと悟り、お弁当袋を腕にかけ両手を使う。気合いを入れて体重をかけようとしたところで予想外の力が扉を引っ張る。

「う。わ…」
「ム」

空回りした力を上手く逃すことができず、扉の向こう側へ倒れこむように体が傾く。そして、そのままの勢いで頭から何かに突っ込んだ。
何か固いものがあたった額を押さえながら、体勢を立て直そうとしていると、大きな手が肩に触れて補助してくれた。視界に入った手が、間違いなく知り合いのものであったことが、今日という厄日の救いだ。

「い…痛い」
「悪い。…大丈夫か?朽木」
「あ、ああ。大丈夫だ。こちらこそ、すまぬ。思い切りぶつかってしまった。大丈夫か?茶渡」
「ム…大丈夫だ」

気遣いでも何でもなく本当に私一人が全力でぶつかっても微動だにしないだろう体躯を見上げる。感情の読み取り難い、だが、穏やかな瞳とぶつかった。私が知るなかで、最も高い身長を持つ同級生はしばらく私をじっと見下ろした後「また」と言って扉を潜っていこうとする。

「一護達と一緒に昼食をとるのではないのか?」
「いや、空を眺めていた」
「そうか」
「…屋上は風がある。気をつけたほうがいい………」
「ああ」
「でも、天気はいい」
「うむ」
「…」
「…」

たまに思うのだが、あの茶渡の親指をたてる仕草はどうにかならないだろうか。同じことをし返す気にはなれないが、何と声をかけていいのかにも判断に迷う。仕方なく、いつものように微妙な間の後で「ではな」と別れを告げ、屋上へと出た。
茶渡の言うとおり、いい天気だった。




"おおきなそら"















29



「もっしもし?ルキア?」
「………」
「ルキアさーん?」
「………」
「ルキア?ルキアちゃん?ルキアさん?朽木さん?朽木様?」
「っ!何だっ?」

キと睨みつけた先にはふてぶてしい笑顔が待っていて、余計に怒りを増幅させる。金曜日の放課後、帰宅途中のお気に入りの場所。少し奥まった所にある優しい雰囲気のカフェ。オルゴールの音を聞いて、今日のことを反省して、来週からはいつも通りに振舞う事が出来ると、どうにか区切りをつけて出てきたところにはち合わせなんて、どれだけ良いタイミングで現れるのだろう。この男は。
一日、避けていたことなんか気にもしていないように、よと気軽に声をかけてくるものだから、思わず目を背けてしまって。謝りもせずに歩き出した私の後をずっと着いてくる。どうせなら、今日一日だけは本当に何もなかったように行動してくれればいいのに、学校とは違い、何とか振り向かせようと色々仕掛けてくるあたりが更に腹立たしかった。

「明日、暇か?」
「…何だ、何かあるのか?」
「いや、別に。ただ暇かどーか教えろよ」

てっきり今日何故避けていたのかを聞かれるかと思っていたのに、振り返ってみれば違う話。それはそれで腹が立つ。私が罪悪感を抱いているというのに、相手が気にしていないのではアホのようだ。

「嫌だ」
「あ?」
「教えぬと言っている。と、言うか何故教えねばならぬのだ。特に何もないのなら、予定があるかどうかなんて、どうでもいいだろう?会話の繋ぎなら今度にしてくれ。今、私はおしゃべりに付き合う気分ではないのだ」

言うだけ言ってしってから、またフイと背を向ける。ああ、もうこれでは心を落ち着けようと頑張ってきた時間が大無しだ。これは帰って白玉のやけ食いでもするしかないと考え、歩を進めた時に背中にドンと強い衝撃がくる。それが、恋次の掌だと気づくのにそう時間はかからなかった。

「な!?」
「明日、朝9時に駅。待ってる」

振り向いて文句を言ってやろうとしたら、恋次がダッシュでかけていった。言葉と、多分掌と共に押し付けられたであろう封筒を残して。あっという間に見えなくなった背に呆然として、一体なんのだと一人愚痴ながら封筒を拾い上げる。何の変哲もない茶封筒には新幹線のチケットが一枚だけ入っていた。




"???"















30



「………………………えーと、よく来たな?」
「…貴様が来いと言ったのだろう」

朝8時の駅はまだ人がまばらであった。人が多い中でも、周りより頭一つ高い身長と派手な色の髪を持つ恋次を見つけるのは容易いというのに、人が少ない中では見つけない方が大変で、どんと改札の前方に立つ恋次の前まで行くと失礼な事に本人は驚いたような表情を作って見せた。

「てか、随分と早いなお前」

何の説明もなしに受け取ってしまったチケット。正直、無視してしまおうかとも思ったが、それでは寝つきが悪くなる一方だったので、腹をくくって来る事に決めた。しかし、素直に来るのも悔しいので早めに来て、駅近のファーストフード店で時間を潰しながら、待ち合わせの時間になってやってくる恋次を眺めてやろうと思っていたのである。そこで、時間になっても来ない私を待つ恋次がどんな表情をするのか見ていてやる予定だったのに、まさか1時間前からいるなんて予想外だ。

「恋次こそ、早すぎやしないか?何時からいたのだ?」
「俺は始発から」
「始発!?」
「んー、いや。うっかりチケット先に渡しちまったから、散々待った挙句、結局お前が待ち合わせに来なくて、一人であっちに向かってみたら、遅かったなとか言うお前がいそうな気がしてよ。気になったから、来てた」

いくら何でもそこまでは考えなかったが…。

「ほーう。貴様は私を一体どのような目で見ているのだ?一度、じっくり話し合う必要がありそうだな、恋次?」
「そうだな。こんな早めの時間に来たのはどういった意図だったのかもじっくり聞きたいし、その意見には賛成だぜ。ルキア」

私が笑顔でそう言えば、恋次も笑顔で返してくる。昨日、忘れかけていた距離感がそこには確かにあった。




"片道切符"



[20.8.20]