21
何度か訪れたことのあるエントランスに立ち、このマンションで唯一住人を知っている部屋番号を押す。ピンポーンと、どこか高級感のある場では間抜けな感じが拭えない音がして、ガチャリとエントランスと部屋が繋がった。
「よ」
「ちょっと待っていてくれ。すぐに出る」
女は支度に時間がかかるというが、ルキアに待たされた事は余りない。恐らく同年代の女子と比べて、持ち物が極端に少ないせいだろう。ただし、いかなる時にも文庫本を一冊持ち歩くため、男のように手ぶらということはない。今日もワンピースに大きめのポシェットと、過剰に飾り立てることなく、清潔な姿で現れた。
「それで、どこへ行く?」
「とりあえず駅前。なきゃ、どっか他んとこ」
「駅前?なら、待ち合わせをすれば良かっただろう。わざわざ私を迎えに来たら、遠回りではないか」
「別に急いでねぇし、いいだろ別に」
「しかし」
「ほら、行こーぜ」
迎えに来れば、ルキアの機嫌を少し損ねるなんてのは最初から分かっていたことだ。だから、待ち合わせも考えなくもなかったけれど。
(一人で街中をうろつかせるのが嫌だなんて言えるか)
ここで、迎えに来てくれて嬉しいとでも言ってくれれば、少しは可愛げがあるものを。ルキアは未だに過保護にされたことを快く思っていないらしい。並んで歩かず、少しだけ前を行こうと足を懸命に動かしていた。歩幅が違うので、すぐに追いついてしまうのだが。
(やっぱ訂正。十分に可愛い)
懸命な様子が可愛すぎて、吹き出しそうになったのを懸命に我慢したが、結局は堪えきれず、ますますルキアの機嫌を損ねてしまった。
22
つぶらな瞳。繊細で美しく煌びやかなレース。色彩鮮やかで甘やかな花。柔らかで優しい夢の香り。それら全て、すなわちピンク色の世界が俺を拒んでいた。
「無理だ!」
「何を言う。遊子のためだ、早く来い」
勇気を出した筈なのに、思わず入口で立ち止まってしまうと店中の視線がこちらに集まった。無理もないと思う。場違いだとも分かっているから、そんな責めるような視線で見ないで欲しかった。
唯一の救いは、ルキアが傍にいることだ。俺、一人だったらどんな疑いをかけられるか、考えたくもない。良くて罰ゲーム。最悪、趣味。否定したくとも、思想の自由は憲法にも定められる重要な権利だ。どんなことでも考えただけでは否定することも出来ない。
「これなんかどうだ?」
「ウサギはお前の好みだろ」
「遊子もウサギは可愛いと言っておったぞ」
「俺だってウサギが可愛いか可愛くないか聞かれたら、可愛いって答えるぞ。そんなヌイグルミとかじゃなくて、もっと小さいもんでいーんだよ。努力賞なんだからさ」
「努力賞?」
「ああ。夏梨が読書感想文で賞をとったんだと」
「それは、すごいな」
ならば、と言ってルキアが選びだしたのはノートと、ぷくぷくと形が浮き出ているシールだった。遊子には、色んな果物がプリントされたものを。夏梨のは、別の店で探すつもりだったけれど、様々なボールがプリントされたものを。それぞれにラッピングをしてもらって店を出た。
「これは私からだと言って渡してくれ」
ウサギグッズでも買っているのかと思ったら、相変わらず律儀な奴だ。思わず「悪ぃな」と言いながら、赤い包装用紙で包まれた小さなものを一回受け取ってしまって、慌てて付き返した。
「直接、渡してやってくれ。そのほうが喜ぶ」
「…そうだな。では、このままお邪魔しても構わぬか?」
首を横に振る理由はどこにもなかった。
23
携帯で家へと連絡を入れ、ルキアを連れて帰ることを告げると遊子から緊急指令が下った。上官曰く、現在我が家は深刻な物資不足と衛生管理異常らしい。つまりは買い物と掃除するから、時間を稼げということだ。遊子には隠せと言われたが、素直にそのことを告げると、ルキアが手伝いにをかってでた。
「いいよ。家のことだし…。それに、遊子には主婦のプライドみたいなもんがあって、頼まれたこと以外をやると凶と出ることが多いんだ」
「そ、そうなのか?」
「おう。気を利かせたつもりが迷惑だと怒られたこともある…。それよりもどっか行こうぜ。せっかくだし」
「そうだな…。では、本屋に」
「本屋は却下。長ぇんだよ、買いもしない癖にお前が本屋にいる時間は!欲しいやつはネットで全部取り寄せてるんだろ?」
「本屋の楽しさが分からんとは。貴様、人生を半分くらい損しているぞ」
「どうとでも言え。…あ、あそこ寄ろう」
目にとまったのは雰囲気が良さげなシルバーアクセサリーショップ。小さい店だが、客もあまり入っていないし、ルキアの負担も少ないだろう。あまり入ったことのない類の店に、気遅れを見せるのを少し強引に押し切って、店内に入ると落ち着いた声の女性が迎えてくれた。店員が女であることに安心したのか、何も言わずにケースの中を覗き始める。
店内の品ぞろえはスマートな印象を受けるものが多く、スカルとか蛇とかハードなモチーフも少ないが、やはり男性物が中心だった。結構、好みのものが多くて細かくチェックを入れていくと、柱の陰に隠れた目立たない場所に女性向けの商品が集めてあるケースがあった。
(………こういうのなら、いいかも)
あまりアクセサリーをつけるイメージはないが、光の当て方によって色を変える細身のリングは、あの白い指にも似あいそうだ。立場的にも、値段的にも、今の俺が買えるものではなかったが。
「そういうのは、あの二人にはまだ早すぎぬか?」
「!?」
いつの間にかルキアが隣で、俺と同じケースを覗き込んでいた。
「だが、あのデザインなら二人とも似あいそうでいいな」
「だ、だろ?まぁ、今の俺にはアレを二つも買える経済力はないけどな…」
「うむ。高価なものでなくても、先ほど選んだもので十分だ。似あわない場所で頭を悩ませた努力を無下にする二人ではないぞ」
「うるせ」
コツンと頭を叩くと、ルキアが笑いながら店を出た。続いて店を出ようとして、レジカウンターの近くに置いてあるものに気づく。財布的に優しくはなかったが、迷うことなく「コレ下さい」とお金と交換した。
24
(まったく一兄ときたら…)
ニコニコと笑顔を浮かべているルキアちゃんと、本気で「どうした?」という表情をしている一兄を見て、思わずため息をつきたくなる。
この二人は一体いつの時代で高校生をやっているつもりなのだろうか。せっかくの休日だというのに。二人きりの外出だったというのに。つまりはデートだったいうのに、何で夕食の時間に嬉しそうに家族と食卓にいるのだろう。まったくもって疑問だ。そろそろ一兄は一家の長男として、雰囲気のある所にでも行って、ルキアちゃんと少しはいい感じになるくらいの甲斐性を見せてくれてもいい頃だというのに。
「わぁ、可愛い!ありがとう。お兄ちゃん!ルキアちゃん!」
「………ありがと。一兄。ルキアちゃん」
遊子が隣で歓声を挙げると、私も祝われて嬉しくない筈もないから、とりあえずお礼を言っておく。プレゼントされた物は遊子のものよりボーイッシュなデザインだけれど、どちらかと言えば、やはり女の子用のもので私の持ち物の中にはまず無いラインだった。
一兄が選んだものではないと思う。私の好みが遊子と離れ始めたころ、一番最初に男の子用のおもちゃをくれたのは一兄だった。私はそれがすごく嬉しくて、未だにそのロボットをとても大切にしている。でも、私と遊子の好みが違うのを知った一兄は、女の子っぽい物は私に何も言わずに遊子に、男の子っぽい物は遊子に何も聞かずに私に渡すようになった。
それはとても自然なことだと思った。
「夏梨?」
「ん?何、ルキアちゃん」
「その…。あまり趣味ではないデザインだったか?夏梨に合うと思ったのだが」
「ううん。嬉しいよ?ただ、私には少し女の子女の子しすぎて、似合わないかなって思っただけ」
「何故だ?夏梨は可愛い女の子じゃないか。似合うに決まっているだろう。…でも、良かった。これでも一護と二人で気に入ってもらえるよう頭を悩ませたのだ。まぁ、スポンサーはおじ様だがな」
真剣な顔からほっとした表情になったルキアちゃんは、軽い動作でポンポンと私と遊子に小さなプレゼントをくれた。赤い包装用紙の中から出てきたのは、お揃いの苺の香りがついた消しゴムだった。名前について小さな頃よりからかわれてきたおかげで、苺グッズに軽い敵意を抱いている一兄が、それを見た瞬間憮然とした表情で口を開く。
「何で、苺なんだよ」
「可愛いじゃないか」
一兄が苺グッズを嫌いであることを知ってるルキアちゃんは、けろっとそう言ってみせると、絶妙のタイミングで遊子にプレゼントの感想を聞いた後、夕飯の支度にとりかかるためキッチンへと姿を消した。リビングには、私と一兄が取り残される。
「一兄」
「なんだ?」
「私。女の子っぽいの苦手なんだよね」
「知ってる」
「でも、こんなに可愛いの貰ったのも、遊子とお揃いのもの貰ったのも、女の子って言われたのも、すごい久しぶりな気がする」
「………お前も、遊子も、俺の妹には変わりはねぇよ」
「ふふ。知ってる」
決して遊子になりたいわけじゃない。私は私の意思で、私らしく強くあろうと思っているから。でも、遊子らしくないのが、私らしいのだと、どこかで思い初めていたのかもしれない。そんなワケないのに。
「まぁ、いいか」
「?」
「とりあえず、私も一兄も今日はちょっとだけ進歩したってことで」
「は?」
「でも、少年老い易く学成り難しだよ。気をつけてよね」
「夏梨?」
「まぁ、進歩と言えば進歩なんだけどさ。私的には、もっと一躍した進歩が見たいわけよ。難しいとわかっていてもさー。二人ともいい年だし、周囲が見えない分よけい気になっちゃって…。うん、でも今日は祝っといてあげるから、感謝しておいてもらわないと」
「もーし?」
「デ・エ・ト。誘えるようになって、おめでと。でもさぁ一兄も高校生なんだし、せめて8時あたりまで頑張ろうよ?もうちょっと遅くてもいいとは、私は思うけど。あ、でも、朝帰りはNGね。遊子と親父が絶対にうるさいからさ」
ごん!と、机に突っ伏した様は中々の見物だったんじゃないかと思う。
25
静かに、俺の背に頭を預ける癖が愛おしくて憎らしい。その時、浮かべている表情が見てみたくて絶対に見たくない。抱きしめてしまうから。
だから、いつも静かにペダルにだけ意識を向ける。
「ほれ、到着」
「ん。今日もありがとう」
今朝は徒歩で来たマンションの前に、今夜は自転車で訪れる。見上げ慣れたマンションは相変わらず高くて、周囲から一つだけ頭をぐんと伸ばしている様子は、夜に見るとどこか寂しげだった。自転車の籠から、遊子に持たされた土産を取り出すと、「今日は楽しかった」と言ってマンションに入っていこうとするルキアを引きとめる。
「なんだ?」
「ちょっと、こっち来い」
エントランスから漏れる明かりだけでは心細い。自転車を邪魔にならないよう歩道の端に止め、すぐ近くの街灯下へルキアを引っ張る。その時、思わず手を握ってしまったけれど、不思議そうな顔のまま大人しくついてきたので、そのまま渡してしまうことにする。俺が要求したとおり開いた手は白くて小さくて、俺の掌の上で咲いた花のように見えた。
青と緑の和紙で作られたラッピングは、どこか無骨で、あまりルキアの手には似合わないような気がする。
「これは?」
「俺から、お前への努力賞」
「?」
「夏梨が読書感想文で賞とったろ」
「では、夏梨にやるべきだろう」
「夏梨にはもうノートとシールやったじゃねぇか。…遊子にいつも家事してもらってありがとうってノートとシールやったのと同じだよ。お前も知ってるだろ、うちでは何か切欠があったら皆にお祝すんの」
「でも、それはお前の家の習慣であって私は違うではないか」
「それ、遊子とか夏梨の前でも同じこと言えんのか?」
険しい顔をして、ぐと押し黙ったルキアを見て、やはり気がついていたのだと思う。こいつは馬鹿じゃないから、気付いていないわけがなかったが、そう分かってしまえば何故という気持ちが強まった。
「遊子も夏梨も親父も待ってる。もし、その気持ちがお前の負担になってるなら、これは受け取ってくれなくていい。でも、応える気があるのなら受け取って欲しい」
ルキアは黙って、ゆっくりと俺の手の中から自分の手を引いた。
プレゼントも一緒に。
「………………………さんきゅ」
「それは私の言うことだろう?ありがとう、一護」
少し言い方がずるかったと思う。けれど、嘘はついていない。これは俺からのルキアへの努力賞。それに間違いはない。ただ別の意図も含まれているのを喋らないだけ。
「開けてみろ」
「うむ。………わぁ、うさぎだ」
兎と満月をモチーフにした二連のチャーム。そのデザインは、ルキアが好むような子供っぽい兎ではないし、プレゼント向けの華やかさもなかった。そこがいいと思った。
「携帯、出してみろ」
「つけるのか?」
「んー。そうだな、ストラップの金具にでもつけておけば、いくらお前でも無くさないだろ?」
「私はそんなことしないぞ!」
憤慨したルキアが力ずくで奪った携帯にはもう小さなチャームが光っている。そこからわざわざ外すような真似はしないだろう。
ルキアが毎日それを持ち歩く。携帯を使うたびにそれを見る。
その度に俺を思い出せばいい。
[20.?.?]