そんなものいらない。新しいのがある。
ふと目を開けると、そこは闇の世界だった。
(何も見えぬ。何も聞こえぬ)
ただ実態のない闇色がうねり、体中を這い回り、ルキアを闇へと還そうとする。そのおぞましくも懐かしい感覚に、わずかな喜びを感じた。その事実に自嘲しつつ、ルキアは唇を動かす。前を見つめて。
ざぁっと闇が左右に分かれると、冷たい雨が体をうった。
纏う白い襦袢はあっという間に水を含み、暖かさを失い、冷たい雫が容赦なく身を襲った。足を踏み出すと柔らかな土と葉の感触。そして、その中に埋もれる小枝が皮膚を裂いた。裸足だ。襦袢以外は何も持っていない。体を包み込むのは森の静けさだけだ。
(痛い。寒い)
それでも歩みだす。記憶のままの景色。記憶のままの道を。三度目の痛みが足を貫いたとき、来たかった。否、決して二度と来たくはなかった場所へと辿り着く。否が応でも心が騒いだ。足が震え、目を背けたいと許されぬ事を願う。そこには一人、ルキアと同じように雨に打たれる女が立っていた。
「捨てるのか?」
女がルキアに問う。
ゆっくりと光を失った紫色の瞳がこちらを向いた。雨を滴らせる黒い髪に、血の気のない白い頬。纏うのは白の襦袢とは対照的な黒の着物。雨の他にどす黒い液体も吸い、重くなった死覇装は明らかに死の衣装だった。女は右手に浅打を持つ。そして、左手には―――
「捨てるのか」
今度は断定的に女が問いを重ねる。同時に左腕がつきだされると、ズルリと変わり果てた男の体が引きずられた。黒い髪に特徴的な下睫、表情豊かだったはずの顔には、すでに生気が無い。青白い皮膚。腕に施された渦の刺青は生前と変わらず色鮮やかに誇っていたが、その所々に虫食いのような後がある。いや、刺青だけではない、虫食いは男の全身あった。
「貴様は捨てるのだな」
女が左手を強く突き出す。その拍子に男からパラパラと体が剥げ、虫食いの跡が広がる。酷い有様だ。しかし、その正視に堪えないようなその姿から、視線を外すようなことをルキアはしない。揺れる瞳を御し、唇を血が出るほどに噛み締めてでも、正面から受け止める。
「捨てぬ」
それまで一歩も動かなかったルキアが女へと向かって歩を進めた。
「私は絶対に罪を捨てたりせぬ」
ハッキリとそう告げるルキアの瞳に女が一歩引いた。言葉をつむぎだそうと唇を開くが、そこから声はでない。女の視線が揺れる、それは酷く見覚えのあるものだった。地を駆け、更に後退しようとする女の腕を捕らえ、引き、抱きしめた。濡れた体は互いに酷く冷たいものだった。
震える声を震わす。
「私は………海燕殿を殺した。自分が救われたいがために殺した。私は汚くて、醜い」
その言葉で女の瞳の暗さが深まる。勢い良く、ルキアの腕を跳ね除けると、跳んで後退する。
「そうだっ!私は醜いっ!!自分のために海燕殿を殺しておきながら、命を奪っておきながら、おめおめと許されていいはずがないっ!」
「誰にだ?オマエは誰に許されたいのだ?」
「なんだと!?」
ルキアが一歩進む。すると、ビクリと女―いや、ルキアの体が震える。
「海燕殿は死んだ。隊長は私の責任ではないと言う。兄様は何も言わない。清音殿や仙太郎殿は慰めの言葉をくれる。隊の者は表だっては何も言わぬ。誰がオマエを責める?」
「心の中ではどう思っているかはわからぬではないか!」
「そうだ。わからぬ。それで?ココに閉じこもって、海燕殿の遺体を抱いてどうする?悔いて、嘆くだけで何になる?それで何が起こる?」
「それはっ…」
「どう許して貰おうというのだ?」
「う、うるさいっ」
チャキと音をたてて、浅打の刃が立てられた。
「ここは静かだ、誰もいない。時は進まない、傷はいえない。だが、新たに傷が増えることもないな」
「何が言いたいのだっ!」
「海燕殿は礼を言ってくれた。兄様は見ていてくださっていた。恋次と再び手を繋いだ。一護が命を救ってくれたよ」
ルキアは一度言葉を区切る。
ザーという雨の音の中、白い着物を着たルキアと死覇装を纏ったルキアが対峙する。本来ならばありえない光景にほんの少しだけ笑みをうかべた。
「私はもう闇へは還らないよ」
「っあああぁぁぁぁぁぁ!!!」
ダンッと跳躍した己の姿を静かに見る。雨をうけて光る、その刃が美しいと、それが自分の身に振り下ろされようとしいるのを忘れて両手を差し伸ばした。
唇から自然と言葉が零れ落ちる。
「舞え。袖白雪」
ドンッと鈍い衝撃の後、暖かい液体が手につたった。目の前の自分は驚いた顔をし、恐る恐る刀を持っていたはずの両手を見る。何も握っていないその両手を握り締めて確認し、ほっとしたように穏やかな笑みをこぼした。
そして、胸に刃が刺さったまま、ルキアの背に手をまわすと。
「行け」とだけ言って、瞳を閉じた。
自分で自分を殺すなど、まったく縁起が悪いとルキアは笑う。
自分の遺体から刃を抜き鞘に収めると、海燕の遺体の前に方膝をつき、手を取る。
「海燕殿、あなたを殺したのは私の罪。それは変わることはありません。しかし、貴方は感謝してくださった。その意味が私にはわからない。いや、わからなかったのです。ですが、今ならばわかるような気がします。気だけかもしれませんが…」
この世界でなら海燕が動くかもしれない。そんな淡い期待を持ったが、握った手から伝わる冷たさから、決して動かないだろうとも思った。
「私はいつも私などいらないのだと思っていました。必要ないのだと。そう思って、すねて、ぐずって、隠れてばかりいました。貴方の部下がこんな様子ではかっこうがつきませんね。私が貴方から学んだことはこんな事ではない…。私にも護りたいものができたのです。もう怒ってらっしゃるかもしれませんが、念のため謝っておきます。遅くなり申し訳ありません」
手を持ち上げ自分の額をつける。
「貴方に心からの冥福を祈る気持ちと、謝罪と、感謝を。さようなら、海燕殿。次に貴方を思い出す時は笑っている顔にします」
少し待ってみるが、やはり声は聞こえなかった。
ちょっと肩をすくめてみせ、愛刀の柄を撫でる。
「ふぅ、たいがい私も未練がましいな。では、行こう。袖白雪」
二つの遺体に背を向けると、ルキアは一歩を踏み出した。
ただ、とどまり続けるのをやめただけ。そのための離別。
過去のネタをリサイクル。これはあまり修正くわえませんでした。今でも印象がかわってないらしい。