溶解
茹だる様な夏の気温には本気で閉口してしまう。カラリと晴れた青空で、太陽は悠々と。地上で動き回る者達を観察しながら、その身から溢れる恵みを有難味が薄れるほど注ぎ続けていた。
「あっつ…」
流れる汗を袖で拭い。涼しげに太陽を反射させる銀髪の下で、日番谷は眉根を深く寄せる。昔から夏が得手ではない。単に暑いのが苦手というのもあるが、それに加えて何となく熱せられた気温が、冷静な思考を奪う気がする。自分の思考が、絶え間ない努力の成果であることを人一倍自覚しているので、その箍が外れやすい季節は決して好ましくなかった。窓の外では更なる熱を込めて、太陽が地上を見つめている。
冷たい川で水浴びがしたい。
よく冷えたラムネが飲みたい。
木陰で昼寝がしたい。
どれも隊長には相応しくないような気がして、冷静になれと頭をガシガシとかいた。よくない癖だと分かっているが、ついやってしまう。それに気が付いて舌打ちをした。これもよくない癖だ。
「あー。だりぃ…」
投げやりに呟けば、言葉に呼応してカップに注がれた氷がカランと音をたてて崩れた。自分のもつ斬魄刀で部屋を凍らせてしまえば、かなり楽になると馬鹿な事が頭を過ぎる。隊舎の中での斬魄刀の解放が許されているはずがない。
ペタリと頬をつけた机すら自分の腕の体温が移っていた。
「こんにちわ。今日も暑いですね」
と、前触れもなく風鈴の音のように心地よい声がかけられた。何で気が付かなかったと慌てて体を起こすが、時が巻き戻ることはない。久しぶりに見る紫色の瞳がクルリと光を反射させている。出来うることならそこから視線を外してしまいたい。
「…仕事の追加なら遠慮願いたいんだが」
歓迎すべき相手と、追い払いたい物のコンビは躊躇いもなく執務室に足を踏み入れた。
暑そうな様子など欠片も見せずに、涼しげな笑顔でお辞儀をする朽木の腕に収まる分厚い書類。夏の気温よりも閉口させられるその量に、僅かに朽木の姿勢が崩れている。少し危なげな様子で、それを松本の机の上にまで運ぶと小首を傾げて机の主の所在を問うた。
その無言の問いには、無言で答えることが出来る。しかもとても明確に。何故なら、俺が指差す隣の部屋には、ソファにぐったりと横たわる松本当人がいる。実は暑さに弱かったなどというオチはなく、単なる二日酔いのためなのが松本らしい。そう言うと朽木が目を丸くして「日番谷隊長らしからぬ発言ですね」と言った。そうだろうか?そうかもしれない。松本のお陰で色んな人種の付き合い方だけには幅がでたように思う。毒されてきたとも言えるが。
そっと静かに扉を閉めた朽木の顔が心配そうに歪んでいた。
「…かなり参られているようですね」
「自業自得だ。ほっといていいぞ」
「いえ、余計なお世話でしょうがほうっておけません。日番谷隊長。申し訳ありませんが、目を閉じていてもらえませんか」
何をする気なんだと問う前に、息を呑んでしまった。隊舎では帯刀する事すら珍しい斬魄刀を朽木が抜刀し、銀の軌跡を舞う。虚をついて現れた刃と、それに似た美しく閃く笑顔に言葉を告げられない。楽しげに笑う唇からは、限定された場所から霊圧を消し去る鬼道の詠唱が。それは身を縛す呪いとなり耳に響く。一隊員というのが嘘のような鮮やかな霊力の構成に目を見張る。素早く正確に織られていく霊力は、まるで一枚の絵画のように透明な壁となって場に発現した。
「お前…」
「もう少し閉じていてください。………舞え、袖の白雪」
解放の叫びを優雅に鳴らし現れる純白の刃。気負う事無く構えられた柄に寄り添う帯が夏の暑さを切り取った。執務室の壁の内に、夢のような氷の樹木が現れ太陽光を浴び、執務室にキラキラとその光を柔らかく反射させた。
カチャと硝子が割れるような音と共に純白の刃は、銀の刃へと戻り。その鋭さも隠される。透明な壁が完全に崩れさった後に残ったのは夢の後だけ。再び夏の暑さが返ってくるが、樹の流す雫で緩和される。
「よい余興となりましたでしょうか」
「余興って…。お前、隊舎内での斬魄刀の解放は」
「はて。斬魄刀の解放?」
「朽木?」
「ふふ。日番谷隊長は少しお疲れで。ほんのちょっとだけ執務中に目を閉じておられた。違いますか?」
「………お前はもうちょっとお堅い奴なんだと思ってた」
「一度、こういう使い方をしてみたかったのです」
そう言って楽しげに笑った朽木を見て、努力して作った冷静な思考が溶けて砕ける。必死に保っていたつもりのソレは、壊れてしまうとやけに薄くて。何だこんなものかと視線を反らすのに躊躇いは生まれなかった。とりあえず、まんまと置いていかれてしまった書類に目を通す前に透明に茂る木の葉を一枚口に含む。
当然、冷たい。
「雪ウサギとかいいかもな」
朽木は兎が好きだから喜ぶだろう。十三番隊舎全てに雪を降らせてみようか、夏の太陽に僅かな抵抗をしてやるのもいい。どうせ敵いやしないだろうけど。たまには心配する瞳や保護者的な微笑みではなく、純粋な笑顔をくれてもいいと思うのはいけない事だろうか。
「…ものをねだるガキだな」
自覚に深々とため息。氷の森で迎えを待つ困った役はお姫様ではなく、どうやら自分のようで。自分を救ってくれる美しいお姫様は、一歩も二歩も先を行く。目指す位置はどうやらまだまだ遠いらしく、早く追いつきたいと焦るのに、焦るなと言い聞かせるのもお姫様なのだからどうしようもない。
「とりあえず仕事だ、な」
口に含んだ冷たさは自分の熱で溶けきった。
「松本っ!いい加減にシャキッとしろ!!」
二日ぶりに怒鳴った言葉は思っていたよりも舌に馴染んでいて、部下の情けない返事に慰められる自分に苦笑い。さて、頑張りますか。
年末なので整理整頓。ただ今ネタ整理中〜。真冬に真夏ネタってどうなの。