goddeath


















「我が目前に、神降り立つ」















美は究極だと阿近は思う。

一片の欠けも無い数式。世界を文字に閉じ込めた定理。起き、巡り、死ぬ、世界。

研究者の手から溢れ出、枯れることのない、世界を我が手に収めんとする学問。

それらも確かに美しいと感じる。

しかし、それらよりも阿近を惹き付けて止まないのは、腹を割かれヒクヒクと痙攣する蛙。悪臭を放つ腫瘍ができた猫。有害な物を食しのた打ち回る犬。片足を失った狼。 腕が3本、足が1本しかない人体。

目を背けたくなる肉体達。
珍しく、異様で、奇異で、異質。
世の中に相容れないもの。

他人がどんなに醜いと言おうが、他人がどこまでも拒絶しようが、阿近にとってそれらは美だった。



◇     ◇     ◇     ◇     ◇



コンコンという戸を叩く軽い音に阿近は眉をしかめた。
ノックなどという愚行を犯すのはどこのどいつだと、紙の上を走らせていたペンを止める。まぁ、いい。丁度、区切りがついた所だ。

「何だ?」
「十三番隊所属、朽木ルキアです。入室の許可を頂きたい」

女の声が扉越しに聞こえる。声にも名前にも心当たりが無い。面識が無い者だろう。 阿近は異常な記憶力を所持しているくせに、他人と名と顔を覚えるのにはソレはまったく発揮されないため、確実とは言いがたいが。

そう判断して、受付の不手際に阿近はますます眉間に力を入れる。
阿近は人を自分の部屋に入れるのを嫌う。部屋は阿近にとって、阿近自身と言っていい。自分が選んだものだけを置き、いらぬものは徹底して排除する。ここ以上に安らげる場所はない。

局員達はその事を知っているため、滅多に阿近の研究室に訪れる事は無い。訪れるのは無作法な十一番隊の者ぐらいだが、それでも心得たもので決して部屋に入ろうとすることは無く、 閉じこもりがちの阿近を部屋から無理やり引っ張り出し、用件を済ませては去っていく。

とまあ、こういった調子なので阿近の部屋に出入りするのは阿近のみだ。その事は受付も承知している筈。

「阿近殿?」

不審げな声が響いた。何故人の不手際の始末を自分が行わなくてはならないのか、納得がいかないが来てしまったものは仕方がない。十三番隊なら、どうせ隊長の薬関係だろうとあたりをつける。 頼まれていた新薬が出来たばかりだ。

気だるげに腰を上げると、阿近は棚から一つの袋をつまみ出し中身を確認してから、やっとその声に答えた。

「あぁ、今出る」


◇     ◇     ◇     ◇     ◇



長い沈黙から、やっと貰えた返答にルキアは胸をほっと撫で下ろした。

ちょっとした四番隊への使いのはずが、なぜか技術開発局にまで脚が伸びた。その上受付で済むはずが、何のためか滅多に脚を踏み入れることの無い最深部―局員の研究室前にルキアはいる。 技術開発局といえば変人の集まりで有名で、ろくな噂を聞いたためしがない。実際、建物の奥へ進めば進むほど、暗さが増し、廊下が複雑になっていた。 それは乱雑に積まれた物たちが溢れかえり、光をさえぎり、道を塞いでいるからである。そのせいで何度迂回させられる羽目になった事か。大した広さもない建物で迷子の気分を味わえるとは ルキアは夢にも思わなかった。

キィと歪む音をたてて扉が開く。

薄暗い廊下よりも更に暗い室内の明かりが見える。扉の隙間から顔を覗かせたのは、まるで幽鬼のような男だった。

死を纏った鬼だ。
ルキアはそう思った。まず目に付くのは人には有り得ないであろう額に生えた3本の角。それから異様な程に青白い肌。ただ細く伸びた体。ソレから生えた手足もまた血管が浮き出るほど細い。 よれた白衣に染み付いている薬の匂いが、さらに病人のような雰囲気を高める。しかし、理知的に輝く瞳がそれを一掃し、男が研究者として生きていると語る。

生と死の境を除く男。
その異常さに背筋が粟立つ。

冷たく輝く瞳が真っ直ぐにルキアを捕える。その視線から逃れられずに、ルキアもまたその瞳を捕える。ほとんど白く変色した唇から、ちらりと赤い舌が覗き、その奥から音が漏れるのをルキアは 瞬きもせずに見ていた。




◇     ◇     ◇     ◇     ◇



扉を開けるとそこに光があった。

光の化身のような美しい女が立っている。

濡れたカラスの羽のように輝く髪。力を入れて触れればポキリと折れてしまいそうな華奢な体。片手で包めそうなほどに小さな顔に収まる唇は熟れた果実のように輝く。 その唇よりも更に美しく輝くのは、両の目。

これほどもなく神秘的な紫紺。その瞳に自分の姿が映っているのに阿近は違和感を覚えた。

(何だ、コレは)

一瞬、夢ではないかと疑う。この世にあってはならないモノが目の前に存在してる。

(誰がコレを創った?)

続いて激しい嫉妬が胸を焼いた。コレは自分が創るはずのモノだったと直感する。その髪の一片から、細胞の一欠片から、自分の手で生み出し、愛でるはずのモノだったと。

眩暈がするほどの飢えを覚えた。
その権利は神にすら譲った覚えは無い。

「お前は…誰だ?」
「え?」
「食いたい」
「!?んんっ!!」

胸に激しく拳を叩きつけられるが、まったく気にならない。細い腰にまわした腕に更に力を入れ、小さな頭を掴んだ手を固定する。それで激しい抵抗の衝撃を和らげることが簡単に出来た。

足りない。足りない。足りない。足りない。足りない。もっと触れたい。もっと感じたい。もっと確かめたい。より長く、より深く。どこまでも、どこまでも、すべてを知り尽くしたい。

今まで感じたことの無い体の深層から湧き出る欲望に身を任せ、阿近は飢えが満たされるのを感じる。更に飢えを満たそうと、息をするために開いた唇に己の舌を滑らせた所で激痛が襲った。 白衣に血が数滴落ちる。したたかに打ち付けた頭をゆっくりと上げると目前に銀色に輝く殺意が突きつけられていた。

阿近の舌を噛み切り、その体を突き飛ばし、刀を突きつけ、烈火のごとく怒る女を前に阿近は薄笑いを浮かべる。

「ほら、これがいるんだろう?」

体のすぐ脇に落ちていた袋をつまみ上げ、女のほうへ差し出す。瞳がその行動に揺れる。

「っ!!!何をっ!?貴様、自分のやったことがわかっているのか?」
「ああ。ご馳走様」

銀色が閃くと再び白衣に血が落ちる。今度は数滴などと可愛いものではなく、阿近の頬をつたい、パタパタと落ちてはその染みを広げていく。

女に訪れた異変に阿近は目を見張る。
瞳にすでに炎は無かった。そこには全てを一瞬にして焼き尽くすような閃光が、冷たい光が宿っている。

「へぇ、なかなかいい腕をしている。動体視力には自信があるほうなんだがな…」

再び銀色が閃き、白衣が朱が散った。

「その減らず口、まだ叩きたいのだったら私が去るまで喋るな」

滑らかな動作で女が刀を鞘に納めた。しかし、阿近の体を縛る威圧感は微塵も衰えることは無かった。もし、指一本でも動かせば次は致命傷を負わせるつもりなのだろう、この女は。

その激しい感情が自分へ向けられていることに背筋がゾクゾクした。今、ここでもう一度口付けたいという欲望が脳を犯す。 そして、それを実行し落ちた自分の首に見向きもせずに去る女の後姿が浮かんだ。その鮮烈なまでに美しい光景に阿近は胸を踊らせる。

しかし、阿近がそれを現実にすることは無かった。 ゆっくりと女の頭が自分に近づくのを見つめる。袋を取るさいに触れた指先の感触を刻みつける。そして、自分の側から去っていく後姿を瞼に焼き付けた。



◇     ◇     ◇     ◇     ◇



「ふっ…。あっはっはっは」

一人残された廊下で阿近は笑い続けた。
何だアレは?何だアレは?何だアレは?何だアレは?何だアレは?何だアレは?何だアレは?何だアレは?何だアレは?何だアレは?何だアレは?何だアレは? 何だアレは?何だアレは?何だアレは?何だアレは?何だアレは?何だアレは?何だアレは?何だアレは?何だアレは?何だアレは?何だアレは?何だアレは? 何だアレは?何だアレは?何だアレは?何だアレは?何だアレは?何だアレは?何だアレは?何だアレは?何だアレは?何だアレは?何だアレは?何だアレは?何だアレは?一体何なんだ?

一瞬でもアレを創れると思った自分の驕りに腹がたつ。
アレは決して創れるものではない。

あの美しさは何だ?あの激しい感情は何だ?わが身を焼かんばかりの怒りは何だ?その次に見せた凍てつくような瞳は何だ?初めてだ。見た事が無い。おかしい。妙だ。変だ。 変わっている。

正に珍しく、異様で、奇異で、異質。

「朽木」

四大貴族の名。
白い。白い。極上の絹で包れ。誰も触れることの出来ない孤独の姫君。

「ルキア」

光の女神。
アレこそ神だろう。

ルキアに刻まれた傷に指を這わせる。未だ血は絶えず流れ続け、その痛みをもって浅くない事を知らせるが阿近には関係がなかった。その痛みさえも恍惚だ。

「残ればいい」

この傷跡が。そしてルキアの記憶に先ほどの出来事が。次に顔を合わせたときにルキアはどんな表情を見せてくれるのだろうか。

できればもう一度、あの瞳を見せて欲しい。
冷たく、氷よりも冷たいあの瞳。
身を焼き尽くす閃光を。
あれ以上に美しいものはない。

「調べなくてはならいな」

神をこの世界に縛り付ける方法を。
この手に入れる方法を。
殺す方法を。
天にあってこその神。それを捕えるのは明らかに、罪。

「喜んで背負おうじゃないか。アレのために負う物なら何でも大歓迎だ」

阿近はゆっくりと目を閉じ。
そして、心の底から笑みを浮かべた。