逢魔が時
ちょっとした戯れだった。奴が面白いほど反応するから、つい調子にのってしまったのだ。でも、そんなのよくある事だろう?お前だって、私をよくからかうではないか。嬉しい…とは決して思わぬが、そんな雰囲気は嫌いではない。本気じゃないのが分かるから。私が知っているとおり、お前は天邪鬼だ。お前の知っているとおり、私は頑固者だ。お互い不器用で困るけれど、時々すれ違うけれど、そんな二人だからこそ通じるのだと思っていたのに…。
それなのに今。どうして、お前はそんなに傷ついた目をしているんだ?
「恋次?」
「触るんじゃねぇ」
強い響きで拒絶されたのは私の筈なのに、私が恋次を遠ざけているように感じるのは何故なんだろう。目の前の鋭い瞳は私を射抜く。私の進路を絶つ体はそこから決して動こうとしない。私の退路を絶つ腕は私の体を囲むだけで触れようとはしない。壁にあたる背が凍える。
恋次の隣にある事は私にとって当たり前だ。私の隣に恋次がある事も。覚悟も決意も必要なく、ただ自然にそうあるものだった。それが今、唐突に壊れようとしている気がする。何故?もしかしたら、何の前触れもなく、恋次が私を置いていこうとしているのかもしれない。それは酷い。
「どうした?何をそんなに怒っているのだ…。さっきの事は謝っただろう。私が悪かった!………謝罪だけでは気が済まぬか?よし、分かった。特別に鯛焼きでもおごってやろう。どうだ?」
可能な限り明るく声を出す。
恋次が離れてしまうのが嫌で、”いつも”を必死で手繰り寄せる。視界の隅で手のひらがグッと耐える様に握られた。怖いと心が叫ぶ。同時に何が怖いというのだろうと理性が思う。怒鳴られるのが?殴られるのが?恋次が?それとも、他の何か―――。
「ルキア」
「な…なんだ?」
抑えられた声に体が緊張する。視線をそらしてしまいたい。可笑しいだろう?そらしてしまいたい。逃げてしまいたい。なのに、そらしたが、逃げたが最後。恋次が消えてしまうような気がして出来ない。こんな赤毛で眉にまで刺青を入れた大男。消しても、消えやしないだろうに。だけど、ちゃんと消えないように見ておかなくてはいけない気がした。
「好きだ」
「?………なんだ、さっきの仕返しか?」
気が、抜ける。
恋次をからかって「好きだ」と言った事は、一言一句を思い出すのが容易いくらい先ほどのことだ。予想以上の反応に私は笑って、その赤くなりようをしつこくからかった。怒鳴って私を止めようとした恋次の口数があっという間に減ったのは、なるほどこういう事か。怒る演技なんていつの間に身につけたのだろう。今後、気をつけなくては、からかわれるばかりになってしまうかもしれない。
同時に灯る安堵。
でも、良かった。杞憂だったのだ。そうだな、そんなわけがない。一瞬でも悩んだ自分が莫迦だったのだ。そんな事が起こるわけがないのに、不安になった自分が莫迦だったのだ。これこそ、恋次に話したら怒鳴られるだろう。もしかしたら烈火のごとく怒り出して、そっとやちょっとじゃ機嫌を直してくれないかもしれない。
”私と恋次の関係がかわってしまうなんて、有り得ない”
恋次がまた言葉を重ねた。私はいつもの場所から、安心して答える事ができる。
「私もだ」
一瞬だけ、目の前の人物が誰だか分からなくなる。だって、あの恋次が、いつもいつも前方を睨むことしか知らなかった恋次が、ときおり振り替えると笑う恋次が、泣きそうな顔をしたんだ。だけど、やっぱり私が雫を見ることはなかった。涙を落す事の無い姿が遠ざかる。
私は未だに進路を、退路を絶たれたままで動くことができない。恋次に縫いとめられた場所で崩れ落ち涙を流す。私の影だけが僅かに、隣に立てなくなってしまった背の後を追った。
報われない恋次。ごめん…。
何だか両思いでない二人を書くのは久しぶり〜!無理矢理ちゅーぐらいするかと思ったけれど…。恋次が予想よりも冷静だった。マジ切れ恋次はそりゃーもう恐ろしいと思う。あの一途さと優しさが、すべて怒りにつぎ込まれるんだもの。烈火というか業火なイメージです。