人形師
生まれたときから間違った事はなかった。
他人が自分に望むことは全て叶え、与えることができた。
この館の中で僕は生きる。
そして、振舞う。
名のままに。
喜びを与え、知識を与え、導き、説き、指し示し、全てを与えた。
だから、他人は感謝と共に僕から奪っていく。
彼らは僕に何も与えてくれはしない。
人である事になんの意味があるのだろうか?
人である限り何ら得たいものを得られないというのに。
欲しい物が手に入らないというならば、それを欲しいと思う欲自体がいらない。
欲しい物が手に入らないというならば、それを得ようと願う気持ちを必要としない。
欲しい物が手に入らないというならば、それを捕らえようともがく腕を切り捨てたい。
そして。
もし。
全てを奪われたのなら。
やめた。
全部、全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全全部全部全部全部全部全部全全部全部全部
全部やめた。
こんなものいらない。
いらないんだ。
時を止めよう。
そして、やり直そう。
初めから。
ああ。
何て。
容易い。
手のひらで時計を弄ぶ。銀色の懐中時計だ。細い鎖が指と連動して、僅かな音をたてている。もう時を刻むことのない懐中時計をテイラは今でも手放さない。
思い出すのは一つの声だ。聞きたいと願うのも一つの声。触れたいのは柔らかな黒い髪。最後に口付けたのも柔らかな黒い髪だった。白く穢れない手は胸の前で組まれ、整えられてた。その手は今でも穢れなく白く美しい様を保ち、いつでもこちらへと伸ばされる。兄さん。と、少しだけ癖のあるアクセントで、そう呼び始めたのはいつだったろう。はじめからだったろうか。それとも…。
確認しなければ。と椅子から立ち上がる。
修兵は思う。今、自分には紫と青の違いが分かりはしないだろうと。
「今はね、もうなくなってしまったけれど。昔、この庭内に一つの離れがあったんだ」
舞台に吉良の声が響く、この舞台の表を語る声が皆に渡る。息を呑み、声を潜め、皆はその言葉を受け入れる。それは真実なのだ。ある面では。作り上げられた真実。
幸せであった三人の話。今も誰一人として欠けていないのに、欠けたとしても補っているはずなのに。リトアが語る幸せは過去にしかない。それが何故かと彼は考えたことがあっただろうか。なかったのだろう。考えるわけがない。考えられる筈がないからだ。
始まった話は、幸せの終わりと共に。
「1度だけ僕とサファイアでそこに潜り込んで遊んだことがあった。いつもはテイラも一緒だったのだけど、その時は僕と彼女だけだった。その時に恐ろしい部屋を見つけた。怖い、怖い人が住む部屋だった。そこにテイラがいた。テイラは言った。彼は神様だよ。内緒だからね。と。彼の事は僕らの秘密になった」
幼い秘密の共有は僅かな背徳感と使命感をリトアに与える。それは何よりも勝るものとなった。美しく優れた兄妹に繋がる秘密。秘密に支えられた繋がり。その繋がりにより降りかかる期待、羨み、妬み。そして、錯覚していく。兄妹に近いのは自分だと。誰よりもその兄妹に近いのは己だと。その自信はやがて脆くも裏切られる。二人の中に彼の存在など欠片も無いことを知る時に。
「ある日ね、僕は神隠しにあった。周りの人たちは僕の事を必死に探してくれたらしいけれど見つからなかった。その時の記憶はない。気がついたときには僕は神の元にいたよ」
カツリ。
靴音が一歩響く。リトアが青玉に近づく。舞台袖から、床に崩れ落ちている朽木の表情を伺うことは出来ない。なんとなく、この場に似合わない穏やかな表情をしている気がした。彼女は全てを受け入れた上で選択するのだろう。
「テイラの顔に傷があるだろう?あれはその代償だ。神は願いを叶える。そして、その代償を求める」
銀色に輝くはずの剣がゆっくりと照明に近づく。舞台用だから、実際に輝くことはない。しかし、その刃の鋭さに変化は無い。あの刃は彼女の体を貫くために振り上げられ、この銃は彼の頭を打ち抜くために構えられる。
さようなら、語りべのふりをした道化師。所詮は道化しか演じられぬ者よ。
「さようなら。可愛いお人形。身代わりの愛を受ける者よ」
剣が閃く。
その前に引き金を引いた。
さぁ、幕を引こう。
用意されたのは最後の舞台に相応しい静寂の衣装と、美しい娘の眼差し。
「………兄さん」
良かった。と、安堵を感じる。まっすぐにこちらを貫く瞳は美しい紫。澄み切った青色なんかじゃない。美しく澄んだ世界と暗く染まる修羅の世を知る瞳。手を差し伸べると、躊躇うことなく伸びてくる。軽すぎる体をソファへ。舞台が全て終わったら髪を伸ばすことを勧めてみようか。この触り心地を消すのはあまりに惜しい。
「リトア公が…」
「大丈夫。彼のことなら心配ないよ、ちゃんと壊したから」
床に伏した吉良の体から偽物の血が流れることはない。その姿を見て、涙を落した瞳は伏せられたままで、いつものようにこちらを見ようとはしなかった。
「青玉、どうして…。もう笑ってはくれないのかい?歌ってはくれないのかい?僕のために」
強い眼差しは断罪の光を宿す。
二度と揺れることのない光を。
影の仮面が砕かれる。
「裏切り者」
これは呪いの声であり、恨みの声であり、偽らざるテイラの本音だ。彼が最後までサファイアへ語らなかった声。深く、低く、冷たく、そして何よりも根源に近い声。
「お前がこれを望んだくせに」
朽木を突き飛ばすと小さな体は受け身もとらずに床へと転がった。朽木は何も言わない。人形は語らない。語るのは道化師の仕事だ。
「幸せな娘。哀れな娘。この家に生まれておきながら、世の中の綺麗な部分にだけに包まれ、大切に真っ直ぐに美しいまま育てられ、歪んだ妹。たやすく全てを否定するサファイア。君が願ったんじゃないか『神様。私の望むようにリトアを作り変えて』って」
叶えられてはいけなかった願い。
歪んだものをつくろうには、更なる歪みが必要だった。そうやって加速していった。気付かないふりをして続けていった。歪みが真実になる所まで。
「だから、作ってやった!何人も何人も何人も何人も作ってあげたのに!お前と僕だけが真実に生きていたのに!!………なのに、お前はこれを選んだ」
結局、彼は一人になった。
否。
始めから一人だった。
「兄さん…。泣いているの?」
「泣く?僕が?」
涙は流せない。だけど、朽木の表情は今にも泣きだしそうだ。
「泣かないで下さい。泣かないでください。泣かないでください。泣かないで!私は兄さんに泣いてほしくないの。悲しい顔してほしくないわ。一人にしないために生まれたの、動いたのにっ」
朽木が腕を伸ばす。俺にではなく、扉へと向かって。
「どこに行くつもりだっ!!!」
突き飛ばした体をまた抱き寄せる。今迄のように優しくではなく、まるで縋る様に抱きしめ閉じ込める。しかし、人形は腕からの逃れようともがく。その抵抗が何よりも恐ろしく、更に力を込めて抱きしめた。
カチン。と閉幕の鐘がなる。
「会いに行くの」
「青玉」
「貴方に会いに行く」
嘘のつけないお人形。
歩けないお人形。
紫の瞳のお人形。
そう、作った。
「私は貴方を愛したくて、生まれてきた」
再び朽木の体を突き放す。視線はそらさないし、そらされることもない。後は両腕を広げるだけ。本当は待ちたくなどない、逃げ出したくてたまらない。まだ可能だ。間に合う。人形を閉じ込めておくことができる。ここに籠っていることが出来る。だけど…あの時に望んだのは。裏切られ傷ついたときに願ったのは。テイラの希望は。祈りは―――。
白い手に握られているのは短銃。細い指が引き金にかかり、躊躇うことなく引かれた。
―たぁん
と、軽い足音が近くで鳴る。まっすぐ。真っ直ぐに立っているだろう姿が浮かんだ。用意するなら白い底の靴だ。彼女が歩む先の色がつくように。恐る恐る踏み出した足は、すぐにしっかりとした足取りになる。
青い瞳はペルソナを愛し、囚われた。
紫の瞳は真実を見ようと駆ける。
微笑しか知らなかった道化師は、やはり微笑いながらその幕を閉じる。受け止めたのは何だったのか。何も残らない腕を見つめながら、ゆっくりと瞼を下ろす。軽やかな足音は葬送歌なのだと、最後に思った。
矛盾してます。
殺陣を書こうとして死にました。テイラとリトアの名前を間違えまくって気が狂いそうでした。結果、銃。最初は剣を使っていたけれど、途中から変更したということでよろしくお願いします。…駄文ここに極めり(死)