舞台裏
真っ暗な舞台にキィと木が軋む音だけが響く。コツコツコツと誰かが中央にやってくると、そこだけ僅かに光が灯る。光の上に浮かび上がるのは粗末なソファとサイドテーブルが一つずつ。蝋燭に火を付けたのは一人の少女。長い黒髪だ。ライトが下からしかあてられていない為に顔は見えない。薄暗い中でもはっきりと分かる優雅な動作で少女がソファへと腰掛けた。
「お久しぶりね。調子はどう?元気かしら。今日はくるみのパンを持ってきたのよ、いつもの所に置いておいたから、好きなときに食べてちょうだい」
親しみ深く少女は空へと話しかける。返事はなく、少女の楽しげな会話が続く。
「この前、来たのはいつかしら?この前は、どこまで話したかしら?森で兄さんと迷子になった時の話はもうした?ふふ、あの時はまだ二人とも小さくて、自由に外へは出してもらえなかったの。でもね、ある日。二人だけでどうしても行きたい場所があって…」
少女は一人、語り続ける。そのうち、舞台のあちらこちらから少女の声が聞こえてくる。楽しそうな声、悲しそうな声、寂しそうな声、穏やかな声、怒る声。そして、恨みの言葉。
部屋中に少女の声が木霊する。そこから、感じ取れるのは少女の豊かな暮らしぶり。下級層への偏見。傲慢。平和の世への憧れ。永遠への希望。今の時代で『人形師』となる名誉。何よりも強い人形師である実の兄への愛情と執着。彼女の唇からは絶えず「兄さん」と零れ落ちる。
ガタンッと荒々しい動作で少女が立った。
「兄さんが、兄さんが、兄さんが!戦争に行ってしまうの。遠いところにいってしまうの。館を出て行ってしまうの!!!」
どんな時でも優雅な動作、言葉を失わなかった少女に、もうそれは欠片も見当たらない。美しく整えられた髪が乱れるのも構わずに、ソファに縋りつく。白い腕が払われて、サイドテーブルの上に置かれていたランプが飛んだ。ガシャンと硝子が割れ、明かりも消える。ツンとしたアルコールの香りが舞台に漂った。どこからか、パチリパチリと火がはぜる音がする。
「そうよ…」
暗い舞台に、暗い声が響いた。
「最初から。こうすれば良かったんだわ。最初から。こうすれば良かったの。最初から。これが叶うなら何だって差し出したのに」
少女の声が深まるのと比例して、火がはぜる音も高くなる。舞台が徐々に赤く染まっていき、少女が立ち上がっているのが分かった。頭を下げ、壊れた操り人形のように彼女は舞台に立っている。黒髪が前へと下がり、やはり顔が見えない。
「契約しましょう。 。私は兄さ と永久にいる。それを叶え れるのならば、私は貴方へ祈 、願う。貴方の へとなり果てるために」
火がはぜる音が邪魔をして、少女の言葉を消す。しかし、少女は消えない。言葉と共に、その輪郭を、存在を鮮やかに表し始める。青いドレスがフワリと一度だけ舞った。最後に優雅な、本来の彼女へと戻った少女は、お辞儀をした頭をゆっくりと上げる。そこには誰もを魅了するような微笑みと、すべてを透す様な青い・青い瞳。
「くす」
少女の笑い声がゾクリと背を撫でた。
「どう…でしたか?」
恐る恐るといった感じで、朽木は舞台の上から声をかけた。すでに証明は消され、通常の明かりに戻されている。音響も消えた今、音を発するのはその場にいる人形師の関係者だけなのだが、声をかけられても尚、舞台に上がっている朽木以外は誰も微動だにしなかった。
「えぇっと………」
困り果て、視線を部屋中に彷徨わせる朽木。しかし、部屋にいるすべての視線が朽木に集まっていて、そして誰も何も言わない。誰にも助けを求められずに、朽木はますます困った顔をした。そして、舞台の袖に控えていた俺を見る。
「…檜佐木殿?」
困った顔のまま、小首を傾げる朽木。その姿はあどけなく、とても妖艶な笑みなど浮かべる事なぞ出来そうにない。しかし。
ツカツカツカと舞台の中央。朽木の前まで歩み寄り、その耳に口を寄せる。ハッとしたような空気が、朽木からも部屋中からも感じられるが、気にしなかった。身を引こうとする腰を抱く。
「すごく良かったぜ。でも、残念。今度は俺の部屋…」
すべての言葉を言い切る前に、いろんな物が俺だけを目掛けて飛んできた。台本に、剣に、グラス、酒瓶、…何だこの薬?すべてを剣で叩き落とすか、除けながら、考える。
標的にこんだけ正確に投擲できるのなら死神は当分安泰だとか、あいつにはあの方法で報復しようとか、敵が多すぎてちょっと厄介だなとか。
赤くなってる朽木もやっぱり可愛いな、とか。