舞台裏



「酷い。酷い。酷い!神なんてこの世にいない、いるのは貴女と言う悪魔だけなのね」

せっかくセットされた髪が乱れるのも構わずに、私は手に持つ短剣を振り回す。目の前で朽木さんがことさら怯えたように目を見開き、檜佐木先輩が私と朽木さんの前に立ちふさがった。
上流階級に生まれ、包丁すら持つ必要の無かった女が短いとは言え剣を上手く扱えるわけはない。私はできるだけ無茶苦茶に見えるよう、変な筋を使って銀色の刃を朽木さんの体に埋めようとする。しかし、その刃は何度も空を裂き、空虚な音を奏でた後に我が身を貫く。
もちろんこれはお芝居だから痛みはない。檜佐木先輩とタイミングを合わせて、ドレスの下にしこんである袋を破き、血に似せた液体が緑の生地を侵食するのを確認すると必死なふりをして、先輩に縋ろうと手を伸ばすが、私を刺し血に濡れた腕が差し伸べられることはない。冷たく見下ろす瞳を前に私は「愛しています」と言葉を残して事切れる。

「いやぁぁぁぁぁ!レナ様っ!!」

床に付した後は、腕の力だけを使って朽木さんが必死に私のほうへ這いずって来るのをただ見つめる。私は死体。私は死体。何があっても動かない者。

「どうしてです?何故ですか?兄さんの隣で幸せそうに微笑んでいたのに。兄さんを愛おしげにみつめていたのに。今朝、私に話しかけてくださったのに!どうして、何でですか?嫌です。嫌です。嫌です。どうして兄さんの隣にいてくださらないのですか?」

大きな瞳からポロポロと透明な球が零れ落ちる。ライトの光がそれに反射してキラキラと光る。もし、それが形を保てるものならば、糸で繋げてベールにしたい。誰よりも少女らしい、好きな人の花嫁を夢見てきたレナによく似合うだろう。だけど、その球は床に当たって砕けて、キラキラと破片を撒き散らしながら絨毯へと吸い込まれていった。ああ、なんて勿体ない。

「青玉…」

先輩があの優しげな声で朽木さんへ話しかける。ここで初めて、朽木さんは檜佐木先輩への笑顔を消す。それは青玉の中の完璧な兄が崩れていく象徴だ。自分へ向けられる愛情を疑う一歩でもある。

「に………い…さん」
「どうしたんだい?青玉?僕だよ、テイラだ。何をそんなに怯えているんだい?」
「兄さん。レナ様が死んでしまわれました。兄さんがレナ様に死を与えました。何故です?どうしてなんですか?兄さんの幸せにレナ様は必要だったのでしょう?」
「青玉。聞いて」
「いいえ、いいえ。聞けません。レナ様は兄さんと結婚するのが夢だと仰いました。幸せな家庭を築くのだと。そして、私にも遊びに来て欲しいと仰ってくれました。私はそれに笑顔で、はいと答えました。兄さんとレナ様が微笑む場所へ行けるのを楽しみにしておりました。それなのにレナ様がいなくなってしまった!」

いつも穏やかに微笑むばかりの人形が、テイラが悲しむ時にしか悲しい顔を見せない人形が、初めて感情的に喚く。それはすでに人形ではなく、一人の少女としての苦悩。静かな瞳には焔が宿り、安定をもたらす言葉には攻撃の矢が含まれる。
それをすべて受け止めてもなお、テイラは優しく。青玉だけに優しく微笑みかける。

「僕と離れても平気かい?青玉は。レナは君と僕が離れることを望んだ。僕は離れたくないよ、青玉」
「兄さん…」

青玉がレナの体から引き離されて兄さんに抱きしめられる。
朽木さんが私から離れて先輩に抱きしめられる。
足が動かない青玉は逃げる術が無い。
足が動かないフリをしている朽木さんは逃げない。
白い手が私の手から離れる瞬間の、縋るような瞳に手を伸ばせないのを私はいつも悔しく思う。


「はーい、OK!」

乱菊さんのOKの声を聞いて、私はホッして冷たい床から体を引き離す。

「ふえぇ、真っ赤だー」

衣装の替えが何枚も何枚もあるわけではないので、血のりを使った練習は今日が最初で最後。手や腹部にベットリとつく赤い液体は見ていて気持ちがいいものではなく、私は早く洗い流したいと思った。

「お疲れ様です。雛森殿」

差し出された濡れたタオルの先を見ると、やっぱり同じように手を真っ赤に染めた朽木さんがいた。「後でいいよ」と言うと、「自分の分も貰ってきましたから」ともう一枚を取り出して、朽木さんが笑う。それではと、ありがたくタオルを受け取って、次のシーンの準備の邪魔にならないように舞台の隅に二人で腰掛けた。

「コレ。落ちるのかなぁ…」

目にも鮮やかな色彩に私は眉を寄せる。朽木さんもそこを覗き込んで、首をかしげた。

「水だけでも落ちるもので作ってあると聞いたのですが…」

見た感だけではとてもそうは思えないほどリアルな色だ。しかし、肌に付いたその液体はタオルで擦っただけで面白いように落ちていく。これなら大丈夫かもしれない。血のりを落すことに一生懸命になっていると、朽木さんが話しかけてくる。

「雛森殿は演技が上手いですね」
「そんな事ないよっ!朽木さんのほうが上手じゃない。あんなに出番あるのに台詞も全部覚えてるし」
「それは…。最初の公演と舞台の内容は殆ど変わりませんから。でも、雛森殿の演技は第二段になってから随分と変わった様に思えたので」
「ああ、うん。そうだね。変わったかもしれない。原作を読み返して、レナに対する印象がちょっと変わったから」
「?」

不思議そうにする朽木さんに向かって。私は「あはは」と誤魔化すように笑う。そして「大した事じゃないんだけどね」と切り出した。

「朽木さんは、青玉はレナの事が好きだったと思う?」
「はい、そういうつもりです。青玉はテイラが好きだと言う物をすべて愛していましたから」
「うん。私もそう思う。じゃあ、レナは?レナは青玉の事を好きだったと思う?」
「それは…。いいえ、結果として婚約者を奪ったのですから。憎んでいたのではないでしょうか?」

少し苦しげにそう言った朽木さんに、私は笑って否定する。

「ううん。私は違うと思う。レナもきっと青玉の事が好きだったんだよ。だって、好きな人が好きな物は好きになりたいでしょう?」

レナの純粋な恋。
きっと青玉と何一つ変わらない綺麗な想い。
テイラの前で青玉に微笑むその態度は、好きな人に自分を良く見せたいという打算からではなく、そんな単純な気持ちからだったと今では思ってる。
驚いたように朽木さんが目をパチクリさせた。

「では、何で…」

青玉を排除しようとしたのか?それも、やっぱり。

「それはやっぱりテイラの事が好きだったからかな。好きな人が好きなのが自分だけだったら…。こんなに安心できる事はないよね。でも、レナはそんなテイラが好きなんじゃない。だから、だよ」
「矛盾してますね」
「うん、矛盾してる。憎んでるけど、愛してる。好きだけど、大嫌い。きっと、どうにかしてほしかったんだよ。苦しんで、苦しんで、もうどうにもならなかったから。レナにとって一番のテイラに何とかしてほしかった。自分が望む形じゃなくてもいいから、とにかくテイラに何とかしてほしかったんじゃないかな?だから、青玉と二人きりの時ではなく、三人でいる時にレナは幕を引くことを選んだ」

誰よりも幸せになることを夢見ていた少女。
彼女は最後までテイラを信じ続けたのだ。
だから、彼女は最後に自分が一番信じている言葉をテイラに残す。

「だから…。本番は目薬使ってもいいんじゃないかなー?」
「え」
「レナは朽木さんが思ってるよりも、ずっとずっと幸せだったんだよ。私はそのつもりで演じてる。だから、同情して泣く事なんてないと思うよ?罪悪感なんて感じる事ないよ」
「…はい」

頷いて笑う朽木さんはどこかホッとしたような顔をしていて、私は少し得意になる。
感情移入すると朽木さんは中々抜け出せないタイプみたいだから。

「でも、それだと今度から舞台で笑ってしまいそうです…」
「そこは頑張って!あ、私。客席からばれない様に目薬を差す技を覚えたんだけど、朽木さん。知りたい?」

青玉を罵倒する時にどうしても必要な目薬をコソと袖から出すと、ペロと舌をだしてみせる。最初の公演では使っていなかったのだけど、そう考え付いてからは必需品になってしまった。
少しだけ目を丸くした朽木さんがニッコリ笑って「はい。ぜひ」と言ったから、目薬を入れるポケットを作ってもらうために私は朽木さんの手を引いて、舞台裏にいる裁縫が得意な子にお願いに行った。