舞台裏



「朽木さん。悪いんだけど、台詞合わせに付き合ってくれないかい?」
「吉良殿。ああ、構わぬよ」

部屋の隅で他のシーンの練習風景を眺めていた彼女を見つけて、僕は声をかけた。その声に応えて彼女はぴょんと乗っていた箱馬から飛び降りる。

「あ、抱えようか?」

キョトンと僕を見上げた後、朽木さんは悪戯っぽく笑う。

「青玉を憎んでいるはずのリトア公まで、私を甘やかすのか?」

そうだ。彼女は別に歩けないわけではなかった。変な事を言ってしまったと僕は赤面する。
ただ、最近あまりにも彼女が歩いている姿を見ないから。練習中は殆ど檜佐木殿が抱え歩いているし、それ以外にも彼女を抱いて歩き回りたがる輩は耐えない。実際、衣装合わせをした時に見えた彼女の足は歩くのに不適合なのではないかと思うくらい、細くて白かった。

「いや、失敬。つい」
「ふふ。舞台の外でも青玉と勘違いされるくらい私の演技が上手くなったと思っておこう。で、どのページなのだ?」

トコトコと僕の目の前までやってきて、目の前の椅子に腰掛ける。
今日は動きやすいようにと、現世の格好でTシャツとジャージを着ている彼女だが、それでも可憐に見えるのは、ここ何週間も役どころを見続けているためだろうか。

「ここをお願いするよ。テイラを諫めるシーン。覚えているか確認したいんだ」
「分かった。では、テイラの台詞を読むぞ…。もう一度言ってくれるかい?リトア」

穏やかなテイラの口調で朽木さんが台詞を読む。ただの台詞合わせのつもりだったが、まるで舞台立っている様な錯覚を覚えた。知らずにセットの配置、檜佐木さんの立ち位置、自分の立ち位置を頭の中で思い浮かべ、リトアの気持ちを探る。今、僕は決心している。親友を諌めると心に決め、それが親友の心を傷つける事となる覚悟もある。

「ああ、何度でも言おう。僕は君を親友だと思っている。だからこそ言うんだ。人形が喋るわけないだろう?サファイアが死んだショックは分かる。婚約者だった僕だって、とても悲しんだ。だからこそ、分かっている。サファイアは死んだんだ。いくら人形を大事にしても甦るわけがない!」
「そうだよ、リトア。悲しむべきことに僕の妹は死んでしまった…。でも、僕には青玉が来てくれた。それをなぜ喜んではいけないんだい?」
「だから、アレは人形だ。物言わぬ、冷たい人形だ。君はアレを作り上げてからおかしくなってしまったのか?」
「おかしいのは君だ。青玉を人形だなんて。青玉、こちらへおいで…はい。兄さん」

綺麗な歌うような声。それはリトアが愛しく思っていた声。リトアのサファイアへの感情は家族愛に近かったと僕は思っている。激しい身を焦がすよな気持ちではなかったが、穏やかな時の中で育まれた気持ちはとても深いものだったに違いない。なくしたはずのもの。許されるのならリトアだって夢に溺れたかっただろう。

「…まさか、今のはサファイアの声?」
「違うと言ってるだろう?青玉の声だよ」
「馬鹿なっ!そんな…、サファイア………。いいや、瞳の色が違う。空の色では、海の色ではない。じゃあ、やはり君は青玉なのか?」
「はい。お久しぶりです、リトア公。ずいぶんと長い間ご挨拶をせずに申し訳ありません。兄さんに頂いた名で青玉と申します」
「っ!テイラッ!!君は何をした?何をしたんだっ!?」
「何も。ただ、もう一度だけ妹の声が聞きたいと願っただけだよ。歌が聞きたいと祈っただけさ」
「何に!!!」
「君も知っている神だよ」

どこまでも優しく、そして残酷に告げられる親友の裏切り。それでもリトアはテイラを見捨てられない。その情深さゆえに。彼の創造する手は破壊する手へ変貌する。己を破壊する手へと。彼は呪う。青玉を。しかし、本当は何も出来ない己を呪っている。

「まさか………。待っていろ、テイラ。必ず待っているんだ。サファイアは救えなかったけれど、君だけは。親友である君だけは救ってみせる」
「救う?僕は幸せだよ。救う必要なんかどこにもない。青玉がいてくれる」
「はい。兄さん。私は兄さんのお傍にいたい」
「サファイアの皮を被った悪魔。哀れな身代わり人形。いくらお前が望もうとも、いくらお前が祈ろうとも、それは叶えられたはいけないはずだったのに!」
「叶えられてはいけない…?」
「そうだっ!テイラのために叶えられてはいけなかった!」
「兄さんのために…?」
「ああ。待っていろ、僕の親友すぐに救ってみせる。ああ、待っていろ、紫の瞳を持つ悪魔め。すぐに滅ぼしてやる………ふぅ」

一つ息を吸ってリトアを断ち切る。一息に長い台詞を言わなければならないので、言い終った後は息を深く吸い込むはめになる。それが苦しい。しかし、台詞はきちんと覚えていたようで、安堵の息をつくと目の前でパチパチと拍手がおこった。

「すごいな!完璧ではないか」
「まだこっちのほうが楽なんだ。もう一度、青玉を壊すために出てくるシーンのほうが台詞が長い。…斬られる所なんて、先輩も本気でくるからなぁ」

僕がそう言って考え込むと、朽木さんも同様に考え込む。僕の仕草をそっくりにコピーして小首を傾げて見せた。それを見てクスリと僕が笑いを漏らすと、朽木さんは穏やかに笑った。

「うぅん。親友まで殺す兄さんは怖いな」
「誰が怖いって?」
「檜佐木殿!?」

気配を絶って現れるやいなや朽木さんを抱きかかえた檜佐木先輩は、笑いながらそう言った。

「ちょ…降ろしてください!」
「だーめ。俺の婚約者や親友や、衛兵に命を狙われちゃうような危ない人形は野放しにしておけないな」

朽木さんを横取りされて、なんとなく面白くない気持ちになった僕は、どうにか檜佐木さんの腕の中から逃れようとする彼女を手伝う様な気持ちで口を出す。

「…衛兵は命狙ったんじゃなく、テイラの焼きもちで殺されたような気がするんですが」
「俺の中では違うし」
「舞台でないのに朽木さんを守る必要があると思えないんですが」
「役作りは大切だろ」
「しかもリトア公から青玉を守ったのは衛兵ですよ?」
「死に役は黙ってろ」
「えぇ!?」
「あはははは。お二人共、息がピッタリだなさすが親友」

珍しく朽木さんが声を上げて笑う。そういえば、阿散井君の前だけはこうやって笑っているのを何度か見たことがあるなと、古い学院時代の記憶を掘り出した。こんなに間近で見るのは初めてかもしれない。普段、笑わない子が笑うとこんなに可愛く目に映るものなのか。
仕事は忙しいけれど、こうやって皆で一つの事に取り込むなんて滅多に無いことだし、参加して良かったかもしれない。脅迫されてよかったとは微塵も感じないが。多分、溜まりに溜まっている書類とちょっとした胃の痛みは、この笑顔に免じてその時までは無視しようと思った。
できたらだけど。