valentine's day〜chocolate liqueur
商店街の電灯に下がる“バレンタインデー”の文字に俺は頭を捻った。
「何だ?また何かあるのか?」
一年のうち全部の日に、何かをやっていなければならないかのように散りばめられたイベントは、未だ現世に慣れていない者には理解しがたいものがある。まるでイベントに脅迫されているかのように、一斉に変わる商店街のディスプレイにため息が出た。街灯が建てられた目的の半分は、脅迫に利用するために違いない。
「2月14日。女が男にチョコレートを渡す日だ」
俺の肩よりも更に下。胸と腹の中間辺りから、アッサリとした説明をよこすルキアは興味なさげに商店街を真っ直ぐ歩いている。俺よりも現世に馴染みのあるルキアはこういった事に幾らか詳しい。よく不足していたり、あやふやだったりはするが。
「は?渡すだけか?」
「いいや、渡すには色々意味がある。日頃お世話になっている人への感謝の気持ちだったり、ホワイトデーの倍返しを狙っての事だったりするらしい」
「倍返し…どこ行っても男は大変だな」
「そうでもないぞ?」
ようやくこちらを向いたルキアが含みのある目つきで囁く。
「なんたって、バレンタインデーにチョコレートを贈る一番の意味は愛の告白だからな」
「それは…」
聖なる恋の日に。
女が。
好きな男に。
甘い。
甘い。
プレゼントを。
「…お前、用意してんの?」
「たわけ。我々はここに遊びに来ている訳ではないのだ」
そう言って呆れるでもなく、ため息をつくでもなく、心配そうな様子を見せるのでもなく。
小悪魔のように、魅力的に笑って見せたルキアの真意やいかに。
valentine's day〜sweet chocolate
「…あま」
初めて食べたチョコレートはコンビニで買った板チョコ。食い物かと疑いたくなる色彩に僅かに怖気づいたが、甘い香りに魅かれて一欠け。口の中に放り込むと甘く溶ける。
「何で出来てんだ。コレ?」
まるで砂糖菓子のような甘さなのに、口当たりはまったく違う。舌に残る甘さが癖になりそうだともう一欠けら。更に甘さを増して溶けて消えた。体温で容易く溶けるのに、香を残していくのが憎らしい。どうせここに留まってくれないのならば、何も残さず消え去ってくれれば良いものを。抜け出せない甘さを思い出させるから、ついつい次に手を延ばしてしまうんだ。
手の中の銀紙はもう空。
「足りねー」
背も垂れていたフェンスから身を起こし、蒼い空へと万歳。
チョコレートの包装紙をくしゃくしゃに丸めてポケットへ。
ゴミはゴミ箱に。
階段を下りる足。
鳴らすリズムは背を向けた空にも負けない軽やかさ。
だって。
目指すは愛しい女の背。
valentine's day〜truffe chocolate
「うぅん…」
悩んでも、悩んでも、まだ足りない。目の前に並ぶのは様々なチョコレート。色、形、味、ブランド、値段と豊富すぎてどれを選んでもいいような気がするし。どれを選んでも不適当な気がしてきた。眩暈がしそうだ。
「いっそ全てのチョコレートを買い占めてやろうか」
雑誌だけでは判断できず、現物を見れば決まるかと考えデパートに足を向けてみたけれど結果は悪化の一途を辿っている。出来もしない事を呟いて溜め息。こんなお菓子で何が伝えられるというのか。
「やめたっ!」
人の多い場所にもうんざりして売り場を後にする。チョコを真剣に選んでいる女性達はどうやって選び出しているのだろう。自分の気持ちを代弁する甘いお菓子。だけど、胸のうちにあるこの気持ちは決して甘くなんてない。時には苦く。時には熱く。時には辛く。時には痛い。様々な気持ちを混ぜ込み、溶かし。多くの喜びを与え。自分の全てを恋という名で隠してしまう。
そんなものはこの胸の内に一つしかない。
「しかし…な」
甘党で、見かけからは想像もつかないが繊細な神経を持つ恋次は、きっと気にしているだろう。2月14日を。
「仕方ないか」
再び溜め息。
しかし、先ほどよりもかなり軽い。
思い描いてしまったのは満面の笑み。
人混みなんて問題ないくらいの。
valentine's day〜bitter chocolate
何となく足が重い。ルキアと一緒にいるのに。
「何か不機嫌そうだな?」
俺の気を知ってか知らずか、からかうような口調でルキアが言う。その言葉につられ、下を見ればその顔は笑っていて、思わず舌打ちしてしまう。
「何でもねーよ」
「そうか?私には何か拗ねているように見えたがな」
ルキアが有利な立場に立っている気でいるのは明らかで。そして事実、ルキアのほうが有利な立場に立っていて。それが分かっていながらも隠し通せないのが歯がゆい。いつまでたっても成長する事の無いこの我侭と独占欲と余裕の無さはどうしたらいいのか。誰か教えられるもんなら教えてみろ。
「…やってたろ」
「?」
可愛く首を傾げてみせるくせに、からかいを含んだ笑みを隠そうとはしない。ルキアはいつだってそうだ。見かけは甘い女の姿のくせに中身が全然違う。
「今日、教室で。浅野ってヤローに。チョコレートやってただろうが」
遊びに来ているわけではないとか言ってたくせに。
俺にはくれなかったくせに。
「あれはクラスの女子連名だ。代表して私が浅野には渡しただけだぞ。お前も貰っただろう国枝から」
貰った。クラス女子にはお前も含まれているから。
だけど、どうしても面白くないのだから仕方が無い。「朽木さんから貰った!」と目の前で大喜びされたら面白くなくなるのは当たり前じゃねぇか。そんな風に子供をあやす様に笑われるのが余計にムカツク。
「そんなに私から貰いたかったのか?」
「だぁれが!いらねーよ、テメーからなんか」
ここまでくれば自分でもでけーガキ以外の何ものでもないと分かっているが、ひねくれだした気持ちを止める事も出来ずに。けっ、とルキアから視線を反らす。その瞬間に見えた赤い上弦の月に嫌な予感。
「そうか。じゃあ、これは自分で食べるとするかな」
いつのまにかルキアの手の上に載っている小さな小箱。俺の返答が一つしかないのを分かっているのに「どうする?」と聞くコイツは、本当にちっとも甘くないと思った。
valentine's day〜valentine card
小さな箱に収まるのは白いチョコと黒いチョコ。
丸く。
二つ並んで収まる。
「美味そうだろう?私、自ら作ったんだ。ちゃんと味わえよ」
「遊びで来てるわけではない云々はいいのかよ?」
「遊びじゃないからな」
目の前の笑顔。
一緒に笑う。
「口を開けろ。どっちだ?」
「じゃあ、俺は白。黒はお前が食えよ」
「いいのか?」
「俺、一人で食うのが勿体ねぇ。ほら、口開けろ」
ぱくん。
「んっ。…っ、んんっ」
「…ん。甘ぇ」
「ちゃんと二つとも味わえたか?」
「んー。混じってよくわかんなかったかもしんねぇ」
「じゃ、もう一度だな」
くすくすと掠れる笑い声の後に、どちらともなく伝えあう。
何度も重ねて。