silent
いつものようにゴロリ・ゴロリ。
縁側でくつろいでいると、見慣れてしまった大きな瞳がひょっこり覗き込んだ。白く細い腕がニュと突き出されて、彼女はアタシに一言。
「行くぞ」
と、のたまう。何故だか逆らう気になれずに、その細い腕をとって二人、無言で歩き始めた。
カラコロとなる下駄の音だけを何時間も聞き続ける。
言葉も心音もなく、繋ぎとめるのは手のひら一つ。
黒いワンピースの少女が、真夏だというのに羽織を着ている胡散臭い男の手をひいて歩くという光景は、傍から見たらどう映っているのだろうかと考えて。少し笑えた。
「どこ行くんスか?」
「海が見たい」
一度だけ交わされた会話が青い空へと吸い込まれる。
何となく、遠い道を二人で歩いて目指すというシュチュエーションが終わりの象徴のようで、ちょっとだけ朽木さんの手を引いてみたけれど、あっさりと無視された。
別に短い命だと宣告されたわけでも、明日遠くへいってしまうわけでも、知らない町で偶然に会った少女というわけでもない朽木さんが、海を見たいと言う。意味のない胸騒ぎ。
どうせアタシには関係ないのだから。
「見ろ」
すでに赤く染まった海を指差して、繋いだ手を振りほどいて朽木さんが駆けて行く。防波堤にたっと飛び乗ると、両手を広げた。
巻き起こる風。
飛び立つ少女。
アタシは朽木さんの背を追いかけもせず、手も伸ばさずにそれを待った。しかし、鳥でも飛行機でもない。今はただの人間の彼女が風にのる事はなく、得意げな笑顔がアタシを迎え入れた。
朽木さんは別に短い命だと宣告されたわけでも、明日遠くへいってしまうわけでも、知らない町で偶然に会った少女というわけでもないのに海が見たいと言う。それでも朽木さんが、いつかアタシの手の届かないところへ行き、知らないところで死んでしまうのをアタシは分かっている。知っている。
その役を朽木さんに与えたのは他ならぬ…。
「朽木さん」
「何だ?」
「帰りは電車を使いましょう」
笑って「そうだな」と言った少女は、差し出したアタシの手をとった。
the evening
いつもいつでも隣にいた姿は、彼の隣へ。夕日にあたらなくても赤く染まったその髪は、どれだけ距離が離れていようとも見間違う事すらできない。邪魔な赤。
「待たせた。悪ぃな、帰ろうぜ」
「「一護」」
同じタイミングで俺の名を呼んで、同じ間で笑って、席を立つ時だけルキアが先で、その後から恋次がついてくる。俺を見ているルキアは、恋次の目を見れないから知らない。ルキアを見ている恋次は、俺に見られていることを知らない。その穏やかな瞳。
「今日は随分と時間がかかったな?」
「進路の事とか、色々と、現役高校生は忙しいんだよ」
「へぇ」
「何だ、貴様でも悩んだりするのか」
「あぁ?ルキア。それ、どういう意味だよ?」
「ルキア。いくらコイツが単純馬鹿とはいえ、本当の事を言っちゃあ気の毒ってもんだろ」
「違いない」
「おい。お前ら好き勝手言いやがって…」
俺よりも随分と年上のはずの二人は、まったく高さの違う背で、笑いながら先に駆けて行って。同じ長さの影を伸ばして、早く来いと声を残した。
きっと、どれだけ急いでも捕まえることは出来ない。
きっと、どれだけ追いかけても追いつくことは出来ない。
だけど。
「おいで」という声が聞こえなくなる事はなく。先を見ればすぐそこに背。声をかければ振り向いて。拗ねてみれば、ごめんと擦り寄り。偉そうにしてみれば、悪戯に笑いかけ。君はここに降りてくる。
優しい赤と共に。
holiday
「ルキアいるか?」
「はーい。少しお待ちください」
インターフォン越しに覗く家の日常。幼い声で名前を呼ばれて、「何だ?」と普通に応えるルキアの声が妙に嬉しい。そこでプツリと黒崎家とは途切れるが、すぐにキィと曇りガラス戸が開いて小さな頭が覗いた。
「よぅ」
「うむ」
まだ履きなれない様子の白い靴のつま先で、コンコンと地面を叩きルキアが顔を上げる。肩に下げたポシェットの中身をチェックすると外と家の境界線をようやく跨いだ。夏の厳しい光線にルキアの細い眉が歪む。
「暑い…」
「夏だからな」
「ルキア。てめぇ、忘れもんだ」
戸の隙間から伸びてきた手がルキアの頭を覆う。いや、訂正。伸びてきた手が持っていた麦わら帽子がルキアの頭を覆った。バフと乱暴な手つきで被せられたルキアは、腕の主にキツイ視線を一度浴びせ、しかし何も言わずにガラスに映る自分の姿を見て、キチンと被りなおした。色が白いルキアは、日焼けをすると確実に赤くなる。夏になると毎年、その事に文句を言っていたのをふと思い出した。
腕の主はスニーカーの踵の部分を人差し指で引っ掛け、すんなりと履くと、何となくコイツも夏生まれだろうなといった元気さで「よぉ」と挨拶してきたので、俺も「よぉ」と返す。
「今日はどこ行くんだ?」
「とりあえず、涼めるところ…だな。この暑さの中を歩き回るのは正気の沙汰じゃねぇ」
「ファミレス!ファミレスに行こう、一護」
「お前は白玉パフェ食いたいだけだろ」
「?何だ、その『ふぁみれす』ってのは」
毎週、日曜日に黒崎医院の前で繰り広げられるこの光景。俺としては、一人余計なのだが。しかも、その余計を一度たりとも呼んだ事はないのだけれど。なんでか、当然のように3人になる。その元凶が、他のものだったのならば即排除にかかっている所だが、それが夏の苦手な一緒にいたい存在のせいならば仕方がない。
片手に俺の手。片手に一護の手。そうしてルキアが笑うのならば、俺はその笑顔を守りたい。それが休日だけではないとしても。願うならば。
tribute
「何してんだ?」
その不機嫌な声に、私は鍋を持ったまま目を丸くした。
「何って…。見て分かるだろう。夕飯の支度だ」
見るだけで仕事から帰ったばかりの夫の姿。一転して、私は完全なる私服。どう見ても一日中、家にいましたと物語っている姿であるし、実際そうだ。昼にはのんびりと散歩がてらに買出しも済ませてある。魚屋に薦められて買った秋刀魚は初物。添える大根もしっかり買ってきたし、切れかけていた醤油も買い足した。後はサッパリした物が食べたいと思い、キュウリを買った。酢の物ようだ。
ぐるりと台の上に置いた食材を見て、何か足りないものがあるだろうかと考える。コイツが不機嫌になるような物は置いていないし、特に重要なものを忘れてもいない。
「あ、醤油とか重たいもん買ってきたな!買出しも俺が行くって今朝、言ったろうが」
「別にいいだろう。暇なのだ」
「よくねーよ!後はもういいから、あっちで大人しく座ってろ」
台所から強制退場をくらった私は渋々と居間に座る。「まったく」とまだボヤキながら着替えに行く背にため息と笑顔を見せた。心配してくれるのは、嬉しい。大切にしてくれているのも、とても嬉しい。だけど、少々行き過ぎだ。
「まったく。今からアレでは、先が思いやられるな?」
まだ顔を見ることは叶わない大切な命に話しかける。
「あ…」
「どうした?」
楽な格好になって顔を覗かせる相手に、手招きをする。
「今、蹴ったぞ」
「…マジか?」
「あ、ほら。また」
自分の中に宿る命の足音と、自分に近づいてくる足音。二つの音が私の心でくるくると踊る。嗚呼、早く。早く。顔が見たい。
「すげっ!今、蹴ったぞ!?」
「ふふ。だから、そう言っただろう?」